フォーマル寄りの場では“おじさんジャンプ”が許容される流れ
※「中年以降の年齢の男性が週刊少年ジャンプを読むこと」を、以下、便宜的に「おじさんジャンプ」と称す。
まず、前述の短いネット記事を読んだ感じだと、「おじさんジャンプに関する賛否は半々くらいか」という印象を受けた。ただ、筆者のSNS周りや筆者周辺の意見をざっと見てみると「おじさんジャンプも別にいいんじゃない?」という消極的肯定の意見が多いように思う。なお、「ガーシーは好きじゃないけど」という枕ことばをつけて、意見表明する人の割合も高かった。
さらに詳しくいうと、出てくる意見の割合は発表される場によって差が生じた。
実名アカウントなど、現実社会と比較的リンクしているアカウントのSNSや、一時期とても評判が悪かったものの雰囲気がやや改善されたといううわさのヤフコメなどでは、おじさんジャンプを許容する意見が多かった。
一方、基本的にいつもとがった意見を直感的・瞬間的につぶやいているSNSのアカウントや、ネット掲示板や記事を取り上げたまとめサイトのコメント欄など、無責任な発言が喜ばれがちな場では、「おじさんジャンプは幼稚」といった意見がそれなりに見られた。
場によって “主な意見”が変わるのは見ていて興味深い。姿勢をただし、まともな意見を言おうとする場合、「おじさんジャンプ」はおおむね許されることになる。世の中が多様性の理解に努めようとしているのが現代なので、おじさんだからといって否定はされない。
だが、人によっては、無意識に近い部分で、おじさんジャンプは蔑視の対象となっているのかもしれない。「大人になれば少年マンガは自然と卒業するもの。読み続けるのはその人がどこかおかしいから」「差し入れに漫画を選択するとは教養がない。さすがガーシー」といった主張が、もっとカジュアルかつ乱暴な短文でポンポンと語られる。
参議院議員当選から今日に至るまでにすっかり嫌われ者になった東谷容疑者を、「流れに乗ってもっとたたいてしまおう」という気持ちの人たちが、“おじさんジャンプ”という口実を得て「ガーシー最低。おじさんジャンプ最低」とやっている向きも混ざっていよう。
なお、冒頭の記事への反応で、“おじさんジャンプ”に言及していないものには次のようなものがあった。
・ガーシーはそんなものを読んでいる場合ではない。
・反省の色が見えない。
・ガーシーは余裕アピールをしている。
・ガーシーがおじさんジャンプしたからなんだというのか。“おじさんジャンプ”を問題視させ、かつガーシーたたきを加速させようとする意図の報道に甚だ疑問を覚える。
最後のコメントは、本稿冒頭で取り上げた記事それ自体に対する批判である。補足をしておくと、その記事には指摘されている意図があったようにも、なかったようにも思われた。「邪推すればそう思えなくもない。とはいえ、邪推されるだけの危うさはたしかにあった」くらいのところである。