「おじさんジャンプ」の言い訳

 さて筆者は、かれこれ30年ほど週刊少年ジャンプの愛読を続けているバリバリの“おじさんジャンプ”で、自己正当化のための哲学――すなわち「言い訳」をいくつか持っている。これを機に紹介したい。
 
・年齢に関係なく、やはり面白いものは面白い。
・大人になっても少年の心を忘れたくない。
・ジャンプを読んでいるおかげで広がる輪がある(おじさんジャンプの同胞や、近所の小学生など)。
・連載作品がアニメ化・映画化・実写化されて話題になった折に、「原作読んでいる勢」として偉そうにできる。
・「中年になってもジャンプを読むおじさん」というキャラ付けを行い、その自分に酔える(この記事をご覧の通り、それが仕事につながることもある)。
 
 こうして並べてみると、我ながら貧相極まりない理由だが、これらがおじさんジャンプを実践する筆者の心のよりどころであると思っていただきたい。
 
「ジャンプは素晴らしい」という考えはまったく揺らいでいないが、生粋のおじさんジャンプである筆者も、ここ数年でジャンプ卒業を考えるようになった。なぜか。現代は他のコンテンツでも面白いものがあふれていて、簡単に手に入るからである。
 
 具体的には、筆者はスマホに時間を割くようになってから「週刊少年ジャンプ」を読む時間を十分に確保できなくなっている。たとえば、マンガアプリを渡り歩きながら気になっている作品をつまみ食いしていけば、結構な量のマンガを読めるルーティンができあがる。
 
 ためしに今数えてみたところ、筆者はマンガアプリで週に20超の作品を読んでいた。これは「週刊少年ジャンプ」1冊に掲載されている作品数とだいたい同じで、アプリだけでもマンガ欲がかなり満たされる。
 
「週刊少年ジャンプ」もたしかに面白いのだが、こちらを読む際は作家を応援したいという気持ちもあって、「すべての掲載作品と目次コメントにまで目を通す」と自分に課している。だから、義務的なテンションが負担となって読むのが後回しになることがしばしばある。
 
 これが繰り返されるうちに、やがて定期購読している未読のジャンプが1年分以上たまることとなった。現在はこれを消化すべく、毎週2、3号ずつを目安にせっせと読み進めている状況である。
 
 読んでいないマンガ雑誌(読む予定は一応ある)を買い続けるのはいかがなものかと我ながら悩んでいるのだが、かといって定期購読をスパッとやめる気もなかなか起きない。

 自己分析したところ、「連載されている作品の続きが気になる」というものに加え、「若い感覚のある“ジャンプ読者”という肩書をまだ持っていたい」と考えているようであった。これは日々老化を実感させられている筆者のささやかな老いへの抵抗であり、精神のアンチエイジング的な試みである。
 
 そしてその欲求を、「今日まで夢を与え、育ててくれたジャンプに恩返しをすべく、お布施的な意味合いで定期購読を解除せず続けるのもいいかもしれない」と理由をつけて正当化している。筆者のおじさんジャンプは、種々の正当化によって成立しているのだ。
 
 以上が、ジャンプを読むおじさんの1サンプルである。じっとりと湿って恥ずかしい、おじさんのそうした思惑を無数にまつわりつかせながら、みんなの「週刊少年ジャンプ」は今日も進んでいく。筆者のジャンプ卒業は、まだ遠い先のことになりそうである。