松尾氏の「マイクパフォーマンス」で
呼び出された山下氏の「流儀」

 本来なら、この件は「松尾潔の契約解除」フェーズと、「山下達郎のジャニーズ性加害への忖度」フェーズに分けられる。しかし山下氏が「私の音楽は不要」発言でかなり大規模な反発を招いてしまって、「山下氏は悪」という認識がひとつの塊となって、2つのフェーズにまたがって長く横たわり、ともすれば両フェーズが混同して語られることになったのであった。

 失言をした山下氏と打って変わって、松尾氏は抜け目がないし、むしろ、言論人としても非常に優秀であることを余すことなく見せつけている。2人の立ち回りを比べてみると見えてくるものもある。

 まず山下氏は70歳、SNSをやらず、情報発信の手段は週1回のラジオのみで、また「ミュージシャンとして音で勝負すべし、露出は抑えるべし」といった信条のもとに活動してきた人である。音へのこだわりが強く“職人”の異名を取り、またその姿勢は求道者的でもある。

 一方の松尾氏は55歳、宇多田ヒカルやEXILEなどと関わってずっと第一線でヒットを量産してきた超ド級の大物プロデューサーだ。さらに、テレビにも出るし本も書くし、メディアの使い方がうまくSNSでの情報発信も盛んで、とにかくマルチ&クレバーな印象である。

 この2人の立ち合いを異種格闘技戦にたとえると、松尾氏はフットワークの軽いボクサーである。山下氏ほど自身のキャラのイメージを気にする必要がなく、裏方と演者の中間のようなポジションもそのフットワークの軽さの一因である。軽いステップで動き、的確にジャブを繰り出し、自分のリズムを作って試合の主導権を握っていく。

 対する山下達郎選手は“路上の伝説”的なカリスマである。格闘技の心得があるわけではないが場数と築いてきたキャリアと人気から来るすごみがあり、「当たったらすごいけど当たらないこともある」一撃が週に1度のペースで繰り出される。

 松尾氏のマイクパフォーマンスで呼び出され、それに応じる形でリングに上がった山下氏は、自分なりの流儀で全力で松尾氏の相手をしようと、口に仕込んでいた毒霧を吹きかけて見舞ったところ、観客から「いくらなんでも毒霧はありえない」「毒霧が客席にかかった」と大ひんしゅくを買っている――これが現在の松尾氏vs.山下氏の個人的なイメージである。

 試合巧者は、圧倒的に松尾氏である。まず「ジャニーズ性加害を追及する」という立ち位置から正義・大義は松尾氏側にある。さらにコラム内で山下氏を人間的に敬愛してきたことなどに触れて人情にも訴えて世論を味方につけているが、「達郎さんを敵対視していない」と公言しつつも「残念です」を連発したり、結構な情報発信量で山下氏を下げて見せるような試みが行われているフシも見受けられる。フェアプレーを装いながら、観客の見えにくいところで頭突きやひじ打ちを入れてダメージを与えていっているようにも映るのであった。