ほとんどの人が知らない「秘すれば花」の真意

 もし『風姿花伝』という書物の名前は知らなくても、「初心忘るべからず」とか「秘すれば花」という言葉は知っている、あるいは聞いたことがある人は多いでしょう。

 残念ながら、いずれの言葉も世阿弥が言いたかったことと一般的な解釈に大きなずれが生じています。

 まず、この「秘すれば花」という言葉は、『風姿花伝』の最終章「別紙口伝」の中盤に出てきます。この「別紙口伝」はこの書の最後のパートなのですが、私はこの部分が最も重要ではないかと考えています。世阿弥の言葉はいずれもビジネスの示唆に富むものですが、この別紙口伝にはそのエッセンスが特に多く出てきます。

 別紙口伝では、次のような形で記されています。

「秘すれば花なり。秘せずは花なるべからず」
(秘密にして見せないから花となる[価値がある]のだ。秘密にしておかないと花[価値]はなくなる)
『風姿花伝』第七・別紙口伝

 多くの人はこの言葉を「何でもさらけ出して表に出すより、控えめに、慎ましくしている方が美しい」と解釈しています。つまり、そこには日本人の奥ゆかしさが出ていると考えるわけです。さらにはこんな解釈もあります。「全部見せるのではなく『チラ見せ』をした方が“見たい”という意欲を刺激することができる」。隠すことで欲望を刺激できる、というような意味合いです。

 しかしながら、これらはいずれも間違った解釈です。「秘すれば花」というのは、日本人の奥ゆかしさや、欲望を刺激する方法を表しているのではなく、勝負を制するための明確な戦略、方法論なのです。

秘密にしていること自体に価値がある

 世阿弥が言いたいのは、“隠しているものの価値が重要だ”ということではなく、“隠すこと自体が重要だ”ということです。したがって、大事なのは「隠していることすら、相手に気づかれてはいけない」というのです。