大和ハウス工業創業!
「先の先を読む」業容拡大
石橋は復員後、すぐさま次兄の義一郎が経営する吉野中央木材に入社し、49年4月、同社大阪日本橋営業所の取締役に就任した。
翌年、石橋が大和ハウス工業を創業するきっかけになった出来事が起こる。四国や近畿地方を襲ったジェーン台風である。
台風の被害調査に出掛けた石橋はあることに気付く。家屋などが倒れているのに、稲や竹は折れずにしっかりと立っていた。稲や竹の構造が、丸くて中が空洞の「円環構造」であることに目を付け、パイプを使った軽くて強い家を造ることを考えた。
このアイデアに夢中になり、試行錯誤を繰り返して事業化へまい進。その資金は、まさかの株の“一勝負”で得た利益3000万円(現在の価値で7億円)だった。
そして55年、大和ハウスを設立し、創業商品「パイプハウス」の販売を開始した。旧国鉄からパイプハウスの受注を獲得したことを皮切りに、「モーレツ営業」で全国を駆け回ってパイプハウスを売りまくった。
石橋の先見の明は、現場を歩いて時代の趨勢を感じ取ることから育まれた。趣味の鮎釣りをしているとき、日が暮れても家に帰らずに遊ぶ子どもが「家に帰ってもおる所がない。勉強場所もない」と愚痴をこぼした。
これを聞いた石橋は、戦後のベビーブームで子ども部屋の需要が増えるとみて、日本初のプレハブ住宅「ミゼットハウス」を発売。しかも百貨店での展示販売という斬新な手法で、爆発的ヒットを放った。
その後も「先の先を読む」経営で、大規模住宅団地の開発をはじめ、ロードサイド店舗やリゾート事業など、次々と新しい分野に進出した。
この頃、石橋の背中にほれ込んだ男が大和ハウスにいた。樋口武男である。