石橋イズムの伝道師
樋口武男「熱湯経営」でV字回復
樋口は後に「石橋イズム」の伝道師として、さらなる大和ハウスの成長を導いた「中興の祖」となる。
樋口と石橋が結び付きを強めたのは、樋口が山口支店長に就任した74年の頃。「支店を地域ナンバーワンの会社にする」。そう意気込んだ樋口は、現場主義を率先垂範で実践し、気の緩んだ従業員には往復ビンタを食らわせた。しかし、空回りだった。樋口は支店で“四面楚歌”となっていた。
樋口は、山口支店の視察に訪れた石橋と一日行動を共にした後、愚痴をぶちまけた。すると、石橋は「樋口くんな、長たるものは決断が一番大事やで」と一言のみ。改心した樋口はその後社員との徹底的な対話で信頼関係を築き、翌年山口支店を日本一に導いた。
これをきっかけに、樋口と石橋の師弟関係が始まった。
樋口は93年、石橋の“命令”で債務超過寸前だった子会社の大和団地の社長に就く。ここでも徹底した現場主義を貫き、業績を立て直した。
そして01年、石橋は大和ハウスと大和団地の合併を決断し、樋口を大和ハウスの代表取締役社長に指名した。
この頃から、樋口は毎月、石橋の静養先である石川・能登へ経営報告のために通う。そこで「石橋イズム」を体得し、大和ハウスがどうあるべきかの薫陶を受けた。
当時、大和ハウスは大企業病に陥っていた。樋口は早速、ぬるま湯に漬かった社員を鍛え直す「熱湯経営」で構造改革を断行した。合併初日、おざなりの朝礼をしていた担当役員を「こらあ!」と一喝したのは有名な話である。
上司の顔色ばかりをうかがう“ヒラメ族”を一掃し、優秀な中堅社員の幹部を積極的に登用した。支店長に権限を持たせ、その代わり赤字を出した支店長はボーナスゼロとする信賞必罰を徹底した。
財務健全化にも取り組んだ。膨らんだ有利子負債2000億円を特別損失で一気に処理したことにより、02年3月期は最終赤字910億円という創業初の赤字決算となった。しかし、それまでの構造改革が奏功し、翌03年3月期は372億円の最終黒字を計上してV字回復を果たした。
04年に社長を退任した樋口は、代表取締役会長兼最高経営責任者(CEO)として強烈なリーダシップを発揮し、大和ハウスを引っ張り続けた。