立て続けの改革に社員の間で不満が爆発
もう一つの問題は、父のワンマン経営の下で働いてきた古参の役員たちでは、私の経営方針のもとに会社を改革することができないということでした。そこで当初は、有望な40代の社員15人をピックアップして育てようとしましたが、教育を依頼した経営コンサルタントから「これまで会社が何も教育してこなかったせいだと思いますが、根本的な学びができていません。この15人では無理です」とダメ出しをされてしまいました。
だからといって、改革をあきらめるわけにはいきません。そこで人材紹介会社を通じて、即戦力となる役員を外部から招くことを決断しました。紹介を受けた人材とは10時間を超える面談を重ね、最初に役員として1人を採用、その翌年にもう1人、その後も……と新たな高度人材の採用を重ねていこうとした時のことでした。もう口を出さないと約束した父から「いいかげんにしろ!」と怒鳴られたのです。しかし、会社の幹部を育ててこなかったのは当の父なのですから、怒鳴られる筋合いはありません。
それから4年間、父とは一度も口をききませんでした。また口をきくようになっても、すぐにまた、会社のことでケンカをしたため、それからはほとんど口をきかなくなりました。
私の考える会社へと改革を本格的に推し進めていったのは、ここからです。まずは、社長になってからの5年間に会社経営について学んだ内容をもとにして、会社の理念に基づく経営方針と行動様式をまとめた冊子『サクライズムブック』を作成。それを全社員に配布し、社員の考える力を養うために、会議やミーティングのたびに内容についてコメントさせるようにしました。
また、社員が常に考えて行動に移すことを習慣化させるための三つの活動も始めました。その3つとは、全社員で1年間の清掃計画を立てたうえで1週間ごとに改善策を出していく「環境整備活動」、各部署のマネージャーが半年間の会社の基本経営方針に基づいた方針を作る「ミッション活動」、そしてモノづくりの現場を中心に取り組む「KAIZEN(改善)活動」で、これらを1週間サイクルのPDCAで回していくというものです。
私はこの時、2~3年で会社をガラッと変えようと、これらの改革を猛烈なスピードで進めていきました。それにより改革を早く社内全体に浸透させ、習慣化させていきたかったからです。
しかし、これには大きな代償が伴いました。立て続けの改革に社内で不満が爆発したのです。役員からは「社長ばかりが先に行ってしまって、社長の背中が見えない」と言われ、現場ではこんなやり方にはついていけないと、15人を超える社員が一挙に退社。工場が回らなくなってしまったのです。