岸田文雄首相の「ぜひ女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」という発言に、苦言が相次いでいる。この発言の何がいけないか理解できるかどうかが、意識のアップデートチェックに役立ちそうだ。(フリーライター 鎌田和歌)
何度も批判されてきたフレーズを
今使った残念な首相
9月13日に発表された第2次岸田再改造内閣では、女性の閣僚が過去最多に並ぶ5人となった。低迷し続けるジェンダーギャップ指数(2023年は146カ国中125位)でも、特に政治分野のスコアは138位と低いため、さすがに国際的な評価が気になったというところなのかもしれない。
米・ブルームバーグも今回の登用に注目し「今後も継続して女性を要職に登用し、多様性を取り込む糸口とできるかが課題になる」と報じている。
しかし、記者会見で岸田首相が口にした言葉は、あまりにも古臭いものだった。
「ぜひ女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」
女性が少ない現場では、このように「女性ならではの感性」といった言葉がよく使われる。一見ポジティブに聞こえる言葉だが、男性が「男性ならではの感性」ではなく「その人個人の感性」を求められることを考えれば、いかにおかしな要求であるかがわかる。
その場におけるマイノリティー属性だから「マイノリティーとしての感性(意見)」を求められるのだが、女性が「女性ならではの感性」を求められているうちは、その女性個人の主体が薄れてしまう。
また「女性は共感力にたけている」「女性は共感思考で男性は論理思考」といった性別による「特性」は最近では否定されており、性差よりも個体差の方が大きいとされる。「男性は共感力が低い」「女性は論理的思考ができない」といった偏見・差別につながりやすいため、避けた方がよい言及だ。
「女性ならではの感性」は「女性ならではの、しなやかな感性」などとも言われることがあるが、女性が生まれつき、男性よりも「しなやかな感性」を持っているという科学的根拠はない。もしそう見えるとすれば、男性中心社会が女性に対しては「適応力」や「調整力」、あるいは「職場の潤滑油」といったアシスタント的な役割を期待してきたことと無関係ではないはずだ。
さらに言えば、女性登用の際に「女性ならではの感性」に言及する違和感は、これまでも繰り返し指摘されてきたところだ。繰り返し批判され、うんざりの声が噴出してきた表現を、このタイミングで首相が使うガッカリ感がある。