「華麗なる一族」を形成した
ブリヂストン創業の石橋家
福岡県南部の筑後平野に位置する久留米市。江戸時代には有馬家久留米藩21万石が領した城下町だった。明善高校は、その藩校・明善堂が由来の福岡県立高校だ。
久留米市は、ブリヂストンに代表される典型的な企業城下町だ。
地下足袋作りの家業を自動車タイヤメーカー・ブリヂストンに変身させた創業者は、石橋正二郎(久留米商業学校・現市立久留米商業高校卒)だった。
その長男、石橋幹一郎は、旧制中学明善校(明善高校の前身)から旧制福岡高校(九州大学の前身)―東京帝大へと進んだ。父の後を継いで2代目のブリヂストンの社長になった。モータリゼーションと高度成長に乗っかり、同社は急成長した。1983年には米国の大手タイヤメーカー・ファイアストンを買収、世界一のタイヤメーカーに育て上げた。幹一郎は同社「中興の祖」となった。
石橋家は「華麗なる一族」を形成した。石橋正二郎の長女・安子(東京府立第二高女・現都立竹早高校卒)は、元首相・鳩山一郎(高等師範学校附属中学・現筑波大附属高校卒)の長男で大蔵事務次官などを務めた鳩山威一郎(東京・旧制府立高校卒)の妻となった。
威一郎・安子夫妻の息子が、民主党政権で初めて首相となった鳩山由紀夫(都立小石川高校卒)と、総務相などをした鳩山邦夫(東京教育大附属高校・現筑波大附属高校卒)だ。安子は、父・石橋正二郎から莫大な遺産を相続しており、息子兄弟が96年に民主党を結党した際には、数十億円の資金を用立てたといわれる。
幹一郎は、経営の才を発揮しただけではない。父・正二郎に倣って美術品の収集や石橋美術館(現久留米市美術館)の増設など、文化振興にも力を尽くした。
経済界で活躍した卒業生を、さらに挙げてみよう。