人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。
臓器の役割
私たちの体に無駄な臓器は一つもない。
ただし、「なくても生きられる臓器」は多い。いくつか例をあげてみよう。
胆石などが原因で、胆嚢を摘出する手術を受ける人は多い。胆嚢は、なくても生活に大きな影響を与えない臓器である。
肝臓でつくられた胆汁を一時的に溜めておく「ため池」が胆嚢であり、何かを産生するわけではないからだ。
大腸は摘出できる
大腸も、実はすべて摘出できる臓器である。さまざまな大腸の病気で「大腸全摘」が必要になる。
もちろん、生活に不便が生じるのは事実だ。大腸がないと便の水分量が多くなり、排便回数が増えてしまう。大腸全摘は、やむを得ないときのみに行われる手術である。
一方、小腸をすべて摘出すると生きられない。小腸は、生きるために必須の栄養分の吸収を行っているからだ。点滴で栄養分を補えばある程度は生き続けられるが、厳密にすべての栄養素を点滴のみで補うのは難しい。
ただし、数メートルもの長い臓器であるため、部分的に切除することは容易にできる。
膀胱は代役が必要
膀胱がんなどで、膀胱をすべて摘出することもある。膀胱はなくても生きていけるが、「代役」が必要だ。小腸を使って尿を溜める袋(人工膀胱)をつくるのが一般的である。
これを尿路変向術と呼ぶ。
腎臓は左右に二つあるため、片方を摘出しても生きていけるのはもちろんだが、両方摘出しても生きていける。
ただし機械に腎臓の代わりをしてもらわなければならない。これが「透析」である。
もちろん、生きている限り定期的に病院に通って透析を受け続けなければならないため、生活に与える影響は大きい。
肝臓をすべて摘出すると…
一方、肝臓をすべて摘出しては生きられない。肝臓は五〇〇以上の化学反応を担う人体の化学工場といわれ、その機能をすべて肩代わりできる機械は実用化されていない。機能があまりに多様すぎるのだ。
ただし、肝臓がんなどの病気で肝臓を部分的に切除することはある。健康な肝臓であれば、六~七割くらいまでは切除が可能だ。
残りの肝臓が再生し、もとの機能を維持するからである。
なお、腎臓や肝臓は他人から移植することができる。肝臓も、他人の臓器で替えがきくという意味では、全摘出は一応可能だ(なしでは生きていけないが)。
似たようなことは、肺や心臓にもいえる。肺や心臓なしで人は決して生きてはいけないが、他人から移植することはできる。
胃はどうなのか?
では、胃はどうだろうか?
正解は、「すべて摘出が可能な臓器」である。
胃がんなどで、胃をすべて摘出する手術を「胃全摘」と呼ぶ。また、胃を部分的に切除し、三分の一から四分の一ほど残す手術もある。病変の位置によって胃を残せるか否かが決まるのだ。
胃を全摘すると、いずれ貧血になる
胃をすべて摘出すると、数ヵ月から数年で貧血が起きる。貧血とは、赤血球の数が減ることである。
なぜだろうか?
実は、赤血球をつくるのに必要な鉄分とビタミンB12の吸収に、胃が関わっているからである。
胃を摘出すると、食べたものから鉄とビタミンB12が吸収できなくなり、貧血が起きるのだ。ビタミンB12を吸収するのは小腸なのだが、胃から分泌される「内因子」という物質と結合していなければ、ビタミンB12を吸収できない。
いずれもある程度の貯蔵があるため、胃全摘後、即座に足りなくなるわけではない。鉄は半年から三年ほどかけて欠乏するが、ビタミンB12は二~五年分ほど貯蔵があるため、欠乏するのは数年後である。
もちろん、いずれも体外から適切に補充すれば命に別状はない。
膵臓の場合
胃のように、「すべて摘出はできるが、何かの補充が必要になる臓器」は他にもある。代表的なのが膵臓だ。
意外に思われるかもしれないが、膵臓は「すべて摘出が可能な臓器」である。
膵臓がんなど、膵臓の病気によって「膵全摘」を行うことはある。膵臓の主な役割は、食べ物の消化に役立つ膵液を分泌することと、血糖値を下げるホルモン「インスリン」を分泌することだ。
よって膵臓をすべて摘出した場合は、これらの補充が必要になる。特に、インスリンがないと血糖値は病的に上がり、即座に命に関わるため、毎日定期的なインスリンの皮下注射が欠かせない。
「なくても生活できる」とはいえ、生活に大きな不便をもたらすのは事実である。
脾臓と交通事故
内臓の中でもあまり知られていない、もっとも地味な臓器といえば脾臓である。
脾臓はお腹の左上にある、握りこぶしほどの大きさの臓器だ。表面は暗い赤色をしていて、中には血液がたっぷり含まれている。
スポンジのように柔らかいため、周囲の手術をする際はもっとも出血に注意すべき臓器でもある。
脾臓の重要な役割の一つに、免疫機能がある。脾臓は私たちの免疫を担う、人体では最大のリンパ器官ともいわれる。全身の各所で免疫を担うリンパ節の親玉的な存在だ。
脾臓には、免疫に関わる細胞であるリンパ球やマクロファージが多く存在し、これらは細菌などの病原体が体に侵入した際に戦ってくれる。病原体を直接攻撃する、あるいは「抗体」と呼ばれる武器をつくって攻撃するのだ。
脾臓は、さまざまな理由で摘出が必要になる。
例えば、交通事故などの外傷で損傷すると大出血を起こし、脾臓を摘出しなければ救命できないケースがある。
また、脾臓は胃のすぐそばにあるため、胃がんができた部位によっては、手術で胃と一緒に摘出しなければならないケースもある。
摘出するとワクチンが必要になる臓器
脾臓は「なくても生きられる臓器」の一つだが、前述の理由により、一部の感染症に対して防御力が弱くなる。
代表的なのが、インフルエンザ菌や肺炎球菌、髄膜炎菌などの細菌感染症だ。脾臓を摘出した後に起こる重篤な感染症を、「脾臓摘出後重症感染症(OPSI)」と呼ぶ。
ひとたび発症すると、約半数が死亡するともいわれる恐ろしい病気だ。特に肺炎球菌によるOPSIは頻度が高いため、脾臓を摘出した人に対して、肺炎球菌ワクチンの接種が健康保険で認められている。
「なくても生きられる」とはいえ、感染予防が必要になるという点で注意が必要な臓器なのだ。
(本原稿は、山本健人著『すばらしい医学』からの抜粋です)
2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に17万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)、新刊に『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)ほか多数。
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