転校を繰り返しても「教育に前向きだ」
と思える社会の寛大さ
近藤 「自分たちで勉強の内容を決めさせてくれたら、僕はもっと上手に勉強できるのに。大人が全部決めてしまうからできないんだよ」と。
それをヒントに、リーさんは、「すべて自分で決めることのできる学校が必要なんだ」と考えて、自分でカリキュラムを作れる、オルタナティブな学校をつくったんです。
小学校の低学年には、最小限の必須科目はありますが、その後はカリキュラムをどんどん自分で組み立てるようにする。そして自身の得意分野を伸ばしてもらう、というのが、リーさんの提唱している自主学習です。20年以上前に、そうしたオルタナティブ教育の基礎を確立し、現在、それを実施するための「実験学校」と呼ばれる学校が、台湾で増えています。AI、スポーツ、言語に特化した学校など、特徴もさまざまです。
田中 「カリキュラムを自分で組み立てる」というのは、「自分たちで勉強の内容を決める」ということですものね。
近藤 日本のように平均的なカリキュラムを一斉に施すのではなく、選択肢を用意するんです。実験学校に通い始めたけれど合わなかったという場合は、ほかの実験学校へ容易に転校も可能ですし、公立の学校や私立の学校とも、比較的スムーズに行き来することができます。
学校の選択を誤って転校したとしても、後ろ指をさされることがない。むしろ、その子の良いところを伸ばすためにその子に合った学校を積極的に探している、教育に前向きだ、とさえ思われる。台湾社会もそのあたりに非常に寛大になってきています。
田中 日本でも少しずつ変わってきてはいますが、以前は、学校に行かなければそのまま「社会からドロップアウトした」というネガティブなイメージが付きまとい、本人の中にもそれがコンプレックスとして残っていた。そう考えると、台湾のその事例は、子どもたちにはもちろんのこと、会社や家庭以外のサードプレイスや、学ぶ場所、人とつながれる場所を求めている大人にも、参考になりますよね。
近藤 たとえオードリーさんのようなギフテッドでなくても、子どもにはひとりひとり、素敵な個性が備わっているはずで、その部分を伸ばしていきたい、と、現在、翻訳中のリーさんの本に書かれています。「お隣の台湾ではこうした教育方法が伸びてきている」ということを、日本の読者に伝えたいんです。原著は、20年近く前に出版されたものです。
今回、翻訳本を出すことになったのは、「今の日本にこそ、この本が必要だ」という、担当編集者さんの並々ならぬ熱意がありました。私は翻訳という立場で携わらせていただき、慶子さんの同時通訳もそうだと思いますが、こうした、異なる文化の価値観を伝えるという点に、「翻訳」の意味や醍醐味がある気がしています。
フォロワーとしては優秀かもしれないが
リーダーシップを取ることができない
田中 「日本人はリーダーシップを取れない」とよく言われますが、仕方がない面もあると思うんです。
日本では、小さい頃から「言われたことをきちんと守れる子」が優秀だとされてきました。でも、そうした人が、教えられたことを覚え、大学受験に合格し、大学を出て企業に入って、与えられた仕事をしっかりとこなす。そして急にリーダー的なポジションにつくことになる。
フォロワーとしては優秀だったかもしれませんが、自分で考えて、決めて、行動して、責任を取るという、リーダーの訓練はほとんどしてきていない。特に今のように変化が激しい時代、従来の画一的なカリキュラムの中で従順に学ぶことが良しとされているシステム内では、変化に柔軟に対応できる人が育たないのは、当然といえば当然です。
近藤 今、「日本の教育状況をなんとかしないと大変なことになる」と、多くの人が口々に言っていますよね。危機意識が出てきているという意味では、スピード感の違いはありますが、大きな変化の兆しが生まれ始めているということなので、良いことだなと思っています。