1月末には民間事故調の報告書の締め切りですから、その背景を調べるにはあまり時間がありません。それでも、最低限の背景説明を入れて、報告書を発表できました。

 ただ、私自身は、その過程で、これは民間事故調の報告書とは別に「最悪のシナリオ」物語が書けるな、と思うようになりました。ここが最初のとっかかりとなったという気がします。

 それだけにここの取材には力を入れました。菅首相が近藤駿介原子力委員長に要請した「最悪のシナリオ」づくりだけではなく、北澤俊美防衛相もこれとは別に「最悪のシナリオ」を自衛隊に作成させていました。米政府もつくっていました。いずれも、当時は極秘に伏せられていたのです。

「最悪のシナリオ」が誰によってどのようにつくられたのかは、『カウントダウン・メルトダウン』で詳しく紹介しましたから、ここでは触れませんが、「最悪のシナリオ」は、首都圏住民の避難も想定していました。

 もしそうなったときに、「内閣総理大臣談話」を出すことも密かに検討していました。劇作家の平田オリザ氏がその草案を書きました。

 この取材はなかなか骨でした。

「最悪のシナリオ」を調べる過程で、何か、最悪となったときの「総理大臣談話」のようなものを用意したらしい、という情報が耳に入ってきましたが、なかなか確認が取れませんでした。その起草者が平田さんと分かって、平田さんに確認が取れたのは2012年9月でした。

 戦後、日本政府は「最悪のシナリオ」をつくったことはありません。幸せな国であり幸せな時代だったのだと思います。

 原発について言えば、日本の原子力産業と原子力行政に染みこんできた「絶対安全神話」がリスクと危機を「想定外」として封じ込め、日本でしか通用しないガラパゴス的な安全・安心体制をつくってきたのです。福島第1原発事故は、そうした”一国安全・安心主義”のガラスの城を粉みじんに吹き飛ばしたと言えます。