トヨタ自動車の豊田喜一郎と
ノーベル賞受賞の小林誠

トヨタ自動車の事実上の創業者である豊田喜一郎氏トヨタ自動車の事実上の創業者である豊田喜一郎氏 Photo:SANKEI

 名古屋城のすぐ東、名古屋市東区の官庁やオフィスビル、高級住宅地が立ち並ぶ一等地にある。尾張藩の藩校「明倫堂」をルーツとする伝統校だ。

 この学校を代表する偉大な卒業生2人を、紹介しよう。

 トヨタ自動車の2代目社長で事実上の創業者である豊田喜一郎が、明和高校の前身である旧制明倫中学校の卒業だ。グループの「創祖」と称せられる豊田佐吉の長男で、旧制二高(仙台)―東京帝大工学部出身だ。

 家業の豊田自動織機製作所内に自動車制作部門を新設、これが1937年にトヨタ自動車工業として独立した。喜一郎は当初、副社長だったが、41年には社長に就いた。形式上は2代目社長だが、事実上の創業者である。

 戦後不況に巻き込まれ労働争議が頻発、倒産の危機にさらされた。喜一郎はいったんトヨタ自動車の社長を退任したが、55年に国産自動車、トヨペットクラウンを発売、トヨタ発展の道筋が定まった。

 喜一郎は、「世界のトヨタ」の礎を築いたといえる。喜一郎のベンチャー精神がなければ、今日のトヨタは存在しなかっただろう。

 6代目社長の豊田章一郎(東京府立一中・現都立日比谷高校卒)は喜一郎の長男、11代目の前社長・現会長の豊田章男(横浜市・私立慶応義塾高校卒)は章一郎の長男だ。

 もう一人は理論物理学者の小林誠だ。2008年にノーベル物理学賞を受賞したことで、明和高校の名が全国に響き渡った。

 小林は生粋の名古屋っ子。明和高校から名古屋大理学部物理学科に進んだ。京都大助手、同大高エネルギー物理学研究所助教授、同大教授などを続けながら素粒子理論の研究を進め、「小林・益川理論」を打ち立てた。

 共同研究者の益川敏英(名古屋市立向陽高校ー名古屋大理学部卒)と、さらに南部陽一郎(旧制福井県立福井中学・現藤島高校―東京・旧制一高―東京大卒)も、08年にノーベル物理学賞を同時受賞した。一度に3人の受賞は、日本人として初めてだった。

 小林と益川には、ノーベル賞の発表を追いかけて08年に、文化勲章が授与された。小林はその後、名古屋大素粒子宇宙起源研究所所長などを務めた。益川は21年7月に、南部は15年7月に死去している。