公私ともにストイックで
完璧主義ゆえの苦しみ
大変だったのは、美智子さまご自身の完璧主義も理由だっただろう。美智子さまと上皇陛下は、ストイックで全身全霊をもって公務にいそしまれる。
さらに、美智子さまは、しぐさや服装の隙のなさは女優並みだ。また、会合に出る場合はあらかじめ出席者名簿を点検され、これまで会った人かどうか、どんなやりとりをしたかなどをチェックされ、「分からないことがあれば調べさせられる」とおそばに仕えた人はいう。
皇室と縁がある女性の一人は、美智子さまとお会いした際、かつて美智子さまから頂いた装飾品を着けていた。すると、美智子さまはいつどんな機会に贈ったものかを正確に覚えておられ、さらに「大事にしてもらってうれしい」とまで言われて恐縮したという。
また、ご自分のことばかりではなく、陛下のなされることにも失敗がないように心を配られる。ぜいたくと批判されないように細心の注意を払い、国産品を愛用され、施設の貸し切りなどもできる限りなされない。
正田家も目立たないように心がけられた。父の英三郎氏が銀座のクラブへの出入りまでやめられたのはよく知られているし、夫妻が亡くなられた後に売られることになった正田家を地元の自治体が記念物として保存することについては、美智子さまは強く反対された。
また、世間からの批判は大変気にされ、その影響もあったのか、1963年には葉山の御用邸で3カ月間ご静養され、また、1993年には失声症にかかられた。
このあたりは、宮内庁など周囲の対応にも問題があったように思われる。小泉信三氏の縁結びは非常に誉められているのだが、華族社会などの反発を和らげるために、もう少し周到な根回しがあってしかるべきだったと思う。重圧が正田家と美智子さまにばかりかかりすぎた。
また、皇室への批判については、世界中のロイヤルファミリーも同様の批判を甘受しているのだから、必要以上の情報を出さないというのではなくもっとオープンにすべきだし、批判に対する反論をもう少し工夫した上ですればよい。「美智子さまが気にされて体調を悪くされるから批判をやめろ」と言ったのは愚策だった。
美智子さまへの国民からの人気は、ご婚約時からいまに至るまで衰えてはいない。特に、女性の人気は高く、女性週刊誌などは毎年のように写真集を発売していたし、行啓幸には日の丸を持った人々が殺到する。語学堪能で優雅であるから、海外でも常に人気がある。また、お酒にも大変強いという意外な面も伝えられる。
一方、ご退位のときに、少し心残りであっただろうと思うのは、皇族の結婚、教育、宮内庁の監督をはじめとする、皇室のいわば「女将さん」としての統率についてだ。皇位継承候補が少なくなっている現状などを見ると、この方面では、たとえば、大正天皇の貞明皇后などに比べるともの足りない。だが、これは、平民出身というハンディはやはり重かったということだろう。
いずれにせよ、上皇陛下ご夫妻のあまりにもストイックな公務や私生活での姿勢は、後継者にとってつらいほどだ。
また、「良妻賢母」という古典的な女性像が生き延びたのは、良くも悪くも美智子さまあればこそという人もいる。
また、これも議論されることが多い天皇皇后両陛下のリベラルな考え方が、上皇陛下と美智子さまのどちらに由来するのかは微妙なところだが、少なくとも正田家がリベラルで知的な家風であることは確かで、美智子さまも昭和30年代に青春を過ごした人らしい傾向の、社会性の高い本を好む読書人だ。
(評論家 八幡和郎)