「あいつはよく営業ができる」「非常に営業の才能がある」「営業がうまい」とよく言いますが、どういう営業がうまいということになるのか。売った量が多いから偉い、というわけではありません。売り手と買い手の間で利益のシェアを分け合うという葛藤にうまく対応できる営業を、私は偉いと思っています。

お客様が期待したほどの利益が得られない部品ですと、「おまえのところの部品は使わない」と言われます。売り手が自分の利益をどんどん得ようと思っていると、売り値が非常に高くなり、買ってもらえないという壁につき当たるわけです。

お客様がアクセプト(許容)する範囲以上に自社の利益を増やそうとしますと、当然お客様から拒否されます。「おまえのところの製品は使わない。よそから買ったほうがもっと安い」ということを言われてしまうわけです。一方で、値段を下げていきますと、お客様の利益はどんどん増えるわけですから、売り値がタダになるまで商いは成立します。

なぜ値決めは「経営者」がするべきなのか?

このように、商いが成立する条件というのがいろいろとあるわけですが、その条件の中で、どのくらいリーズナブルな値段で注文がとれるかということが、営業の技量だと思います。マーケットプライスをはるかに下回る値段を提示して、大量に注文をもらって、「おれは注文をとれるのだ」と喜ぶ人がいるのですが、これは営業ではないのです。注文は売り値がタダになるまでもらえるのですから、どの値段で成約をしたかということが非常に大事なのです。

私がこう言ったからといって、自分の利益だけを追求しようと思って、常にお客様が許してくれる最高限度のところだけをとる姿勢をとっていますと、だんだん「あいつのところはどう考えても高い」と言われ、お客様が去ってしまいます。短期的には利益を得ても、長期的には利益が得られないことになります。しかし、できるだけ安く納めて、足が出るくらいの商売をしていては長続きしません。

ですから、どの値段が最適なのかという問題は、まさにトップが決めることなのです。そして、それはトップがもっている哲学に起因してくるわけです。えげつない性格の人はえげつない価格帯で値段を決めますし、気の弱い性格の人は気の弱い価格帯で値段を決めるわけです。

気の弱い経営者は、年中お客様にいじめられて倒産することになりますし、えげつない経営者は年中お客様をだますようなことをして信用を失い、これもまた会社がつぶれることになります。

結局、どのような具合に値段を決めていくか、ということは、トップの哲学、すなわち人柄によるのです。営業部長に任せるわけにいかないと言っているのは、そういう意味だからです。

社長の皆さんが値段をお決めになる分には、気が弱くてつぶれるなら、それはまさに皆さんの器、心の問題であり、皆さんがもっていたプアー(貧弱)な哲学が招いたことですから、あきらめもつきます。そうではなく、ご自分がプアーな哲学しかもたないのに、さらにプアーな哲学をもった営業部長に値段を決めさせ、それで会社がつぶれたときには、「あいつに任せたからや」と言ってみたところで、話にならないわけです。

経営というのは、まさにその人がもっている心、哲学で決まるものなのです。

(本原稿は『経営――稲盛和夫、原点を語る』から一部抜粋したものです)