京セラ創業、KDDI躍進、JAL再建――稀代の名経営者、稲盛和夫は何を考えていたのか?
2つの世界的大企業、京セラとKDDIを創業し、JALを再生に導きますが、稲盛和夫の経営者人生は決して平坦なものではありませんでした。1970年代のオイルショックに始まり、1990年代のバブル崩壊、そして2000年代のリーマンショック。経営者として修羅場に置かれていたとき、稲盛和夫は何を考え、どう行動したのか。この度、1970年代から2010年代に至る膨大な講演から「稲盛経営論」の中核を成すエッセンスを抽出した『経営――稲盛和夫、原点を語る』が発売。刊行を記念して、本書の一部を特別に公開します。
「うちの会社はぱっとしません」などと言う経営者は
やるべきことをやっていない
私は今日まで経営をしてきた中で、値段を決めることはたいへん大事なことだということを、最近特に感じています。値決めは経営そのものと言ってもいいと考え、私は社内でよく「値決めは経営だ」と言っています。
例えば、マーケットプライスをもとにして、他社とコンピート(競争)できる値段を考えますと、他社よりも安い値段になるわけです。では、どのくらい安ければいいのかという問題ですが、それは一営業社員が決めるものではありません。営業部長が決めるものでもないと思います。値決めというのは、まさにトップが決めるべきものだと考えています。
それほど重要なことなのですが、そのような意識をもっていらっしゃらない方が非常に多いのではないかと思っています。
しかし、この値決めというのは難しいものです。市場価格に対してできるだけ安くすれば、大量に売れるかもしれませんが、利幅は狭くなります。また、あまり安くしないで普通の値段、つまり同業他社と同じ値段にすれば、利幅は広くなりますが、多くは売れないかもしれません。少なく売る代わりに利幅を広くして商売をするのか、利幅を縮める代わりにたくさん売って商売をするのか。
簡単なようですが、どれほど利幅を縮めたときにどれだけの量が売れるのかはわからないわけです。利益の合計は、売った量と利幅との積ですが、その極大値を求めようとしても、いろいろなファクターが入っており、簡単に解くことはできないのです。
安く大量に売るような値段のつけ方も一理あります。そんなにあくせくして商売をするよりは、利幅を少し広くとって少量を売るというのも、一つの方法です。値段と売る量によって無数の選択肢があるわけですが、その中でどれをとるかということは、まさにトップが決めるべきことであって、一介の営業部長に決めさせる問題ではまったくありません。
それを営業部長に任せておいて、「うちの会社はあまりぱっとしません」というようなことを言っている経営者が多いわけです。会社をどういう方向にもっていきたいのか、そのためには値決めをどうしたら良いのかというのがわかっていないからです。
たくさん売るだけの営業は偉くない
売る側と買う側という関係図を書きますと、売る側はなるべく高く売って利益を多くとろうとしますし、買う側はなるべく安く買いたたいて、自分の利益を増やそうとします。つまり、どちらも利益を増やそうという激突状態にあり、それが商行為だと理解できるはずです。
売り手が自分の利益をどんどん伸ばそうと思い、自社の製品の売り値を上げていくと、買い手にとっては自分の利益を食われることになります。
私どもの部品を使うことによって、あるコンピュータができるとします。その部品の値段を上げていくとしますと、それをコンピュータに使った場合、お客様の利益率が減っていくわけです。逆にお客様のほうでは、私どもの部品をどんどん買いたたくことによって、自分の利益を増やしていこうとするわけです。
そこで激突が起こるのです。