お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失ったついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるの楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】 【パソコン】とテーマごとに紹介する。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

お金がないことの切なさを痛感した71歳女性の告白写真:川瀬典子

頼りにしていた実家が
倒産の憂き目に

バツイチで子ども3人の母子家庭とはいえ、実家が裕福であるがゆえに、経済的に困ることもなく、それまでと同じような暮らし方をしていた私ですが、2001年、ついに最大の試練が訪れます。

私の大きなよりどころであった父の会社が倒産したのです。

すでに父から代替わりして社長を務めていた弟から「とうとう会社がダメになった。姉さんの住んでいるマンションも売りに出すことになったから、1か月以内に引っ越し先を見つけて出て行ってくれ」と言われたときの衝撃を、私は一生涯忘れることはないでしょう。

親の財力に依存していた
自分に初めて気づかされる

私には長男・長女・次女と3人の子どもがいますが、ちょうど末っ子の次女が高校に進学するタイミングでの出来事でした。

まさにこれから子どもにお金がかかるようになる時期に、それまで「あって当然」と思っていた後ろ盾を完全に失うことになったのです。

それまで親の持つ財力にどれだけ依存してきたか、初めて突きつけられた瞬間でした。

お金がないことの
切なさを痛感

実は当時のことを私はあまりよく覚えていません。

ショックが大きすぎたことと、少しでもお金をつくるために売れるものは全部売るなど、1か月以内に引っ越しをするためにしなければならないことが多すぎて、自分に考えること、覚えることをあえてストップさせたのではないかと思います。

その上、私は生来の見えっ張りときています。どんなにつらいことがあっても顔色一つ変えず、「私は平気よ」という顔をしていたいというのもありました。イヤなやつですよね……。

本当のつらさを
打ち明けられなかった

でもそんなかっこつけのイヤなやつだからこそ、人生最大の局面、それも天国から地獄に突き落とされるような局面を、なんとかやり過ごせたのではないかという気もするのです。

そして自分の弱さを認めることが苦手で、どんなことでも乗り越えられる人間だと思っていたい私は、あえてつらい感情に蓋をしてきたのではないかと思うのです。

今だから正直に言えます。あのときは本当につらかったです。

「お金がなくなる」という現実

もの心ついてからお金の苦労を一度もしてこなかった私にとって、毎月当然のものとして入ってきていたお金が入ってこなくなるというのは、恐怖以外の何ものでもありませんでした。

もう49歳にもなっていたのですが、お金について、まったく自立できていないことに気づかされたのです。

お金がなくなるということは、頭ではわかっていたつもりです。

今まで住んでいた広々としたマンションに住めなくなるとか、車を手放さなくてはならなくなるとか……真剣に取り組んでいたつもりではありましたが、副収入のつもりでいた整体の仕事を生活のためにしていかなくてはならなくなる。

お嬢様育ちが
お金のために働く日々

堅実な生活をしている人なら当然知っているはずのことを、私はまったく知らなかったのです。

実家が倒産したあとは、ただがむしゃらに前に進むしかありませんでした。

整体院に勤めるかたわら、すでに個人でお客様の施術もしていたのですが、それこそ子どもたちの用事があるとき以外、ほとんどすべての時間を仕事に捧げていたと言っても過言ではありません。

※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。