お金持ちの家に生まれ育ち、大学を卒業して間もなく結婚。3人の子どもを授かるも離婚した。実家に出戻ったものの、父親の会社が倒産し、49歳で住む家を失った。ついには預金通帳の残高がほぼ0円に……それまでとはうって変わって赤貧生活に陥り、裸一貫で整体院で働くようになった。自分の力で人生を切り拓いてきたとき、今度は末期寸前のがんを患うことに。そんな波乱の人生を乗り越えて「今がいちばん幸せ!」と断言する『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)の著者が、毎朝起きるの楽しくなるライフスタイルを【人間関係】【食事】【睡眠】【健康】【メンタル】【ファッション】【インテリア】【パソコン】とテーマごとに紹介する。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
裕福な者同士が巡り合う
自由奔放に過ごした大学時代、私はひとりの男性と巡り合いました。
彼は神戸の某老舗のひとり息子。生まれて初めて自分と同じ家庭環境の人とおつき合いしてみて、とても心が楽になるのを感じました。
いやみったらしく聞こえるかもしれませんが、ある時期、私はどうやら自分の家が裕福らしいと気づいたのです。
ポンと車を買ってくれる家庭
たとえば、大学生になると車の免許を取りに行く人が多いですよね。でも、免許を取りたての大学生の娘や息子に、「免許の次は車ね」とポンと車を買ってくれる家はそう多くないと思います。
ところが、私の家はその少数派の「免許の次に車をポンと買ってくれる家庭」だったのです。
今となってはとんでもない贅沢だと感じますが、当時の私は裕福な生活が当たり前になってしまっていて、「車の色が気にくわない。私に選ばせてくれればよかったのに」なんて思っていました。本当に罰当たりな話です。
価値観が合う者同士
そんなことを堅実に生活している家庭で生まれ育った人には言えません。小娘の私にも、それくらいはわかりました。
ところが、彼には言えたんです。私と同じか、それ以上に裕福で、欲しいものはなんでも与えてもらってきた人だったからです。
そういう意味で、彼といるのはとても気持ちが楽でした。「この人とは価値観が合う」と感じたのです。
夏休みにはお互いの親が所有する別荘で過ごすなどして、ごく自然な流れで大学を卒業して半年後には結婚しました。
生活費の出どころがわからない
新居は結婚相手の親が所有していた、神戸の一等地に建つ100㎡以上ある広々としたマンションでした。
3人の子宝にも恵まれました。結婚相手は家事育児を手伝ってくれることはなかったので、それなりに忙しかったですが、基本的な生活は結婚前と何も変わってはいませんでした。
結婚して子どもが3人いる主婦になったというのに、なんと私は生活費がどこからどう出ているのかすら考えたことがなかったのです。
お金の心配はゼロの生活
ちょっと生活費が足りないなと感じたら、「今月、お金ないの」と実家に駆け込んでいました。
どこに行くにも車を使っていましたが、ガソリン代を払ったこともありません。「ガソリン券」というのを持たせてもらい、支払いをそれですませていたからです。
30歳をすぎてもそんなことをしていたのですから、我ながら情けなくなってきます。
※本稿は『71歳、団地住まい 毎朝、起きるのが楽しい「ひとり暮らし」』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。