荷物を片手にした男性写真はイメージです Photo:PIXTA

中世ヨーロッパの人々が神への信仰と、救済への願いをベースにして考え、論じていた中世哲学は、まさに「未来への祈り」。それゆえ現代に生きるわれわれの課題とじつは直結していた。中世哲学を研究し続けて40年の慶大名誉教授が、その醍醐味を語る。※本稿は、山内志郎『中世哲学入門 存在の海をめぐる思想史』(ちくま新書)の一部を抜粋・編集したものです。

入学当時の東大に中世哲学は
かけらも存在しなかった

 中世哲学とは何か。そういう問いを出しておきながら私自身答えを持っているわけではない。ほぼ40年間、憧れと絶望が絶えず交錯するような状況で私は中世哲学に関わり続けてきた。だからなのか、簡単に答えを出してしまっては、中世哲学に対して不誠実ではないかと私は思ってしまう。

 9世紀から15世紀頃までヨーロッパの教会や大学で講じられた哲学が中世哲学であるのだが、それはどのような内実を持ち、現代に何を伝えようとしているのか。

 中世哲学は19世紀においてはほとんど論じられなかった。しかし、20世紀になって忘却の淵から蘇った。

 20世紀の前半においては、ウェーバー(1864~1920)とゾンバルト(1863~1941)は資本主義の起源を中世神学の中に探し求め、中世における経済活動に注目をした。カントーロヴィチ(1895~1963)の中世における政治と宗教の構図の解明によって、中世思想が現代の課題と直結することが示されたのである。

 キリスト教の思想としても、考え続けなければならない課題が山積している。キリスト教的背景は西洋の思想を考える場合、不可欠の前提である。たとえば功績(meritum)をめぐる神学は、ルターの宗教改革にも直結したが、魂の救済と幸福のあり方についての倫理学的枠組みの基礎となった。

 中世哲学は、現代における哲学、経済学、政治学、倫理学の問題において復活を期し、入口の閾に足をかけ、入室を待ち構えている。中世思想の全域を覆うことは永遠の課題であるとしても、放置されたままであることは大きな損失なのである。

 中世哲学を一言で語ることは無謀で不可能だが、敢えてそれを夢見るとすれば、中世哲学とは未来への祈りなのである。現世における旅人の抱く未来への祈りなのだ。

 私自身、裏口から中世哲学に入って、迷いながら進んできてしまった。表の正門から入った経験があれば、「そもそも中世哲学とは」と大上段に構えて話を始めることもできる。私の場合は何の入口かわからないまま入ってみたら、中世哲学だったのである。そして、そこは密林で遭難してしまう場所が多くあるということもわかった。

 1976年に大学に入った。迷うことなく哲学を学ぼうと思っていた。田舎の哲学青年だったので、哲学と神保町の古本屋を目指して東京に出てきた。将来のことなど何も考えないで、哲学の道を心に決めていた。西洋哲学史(城塚登編『西洋哲学史』有斐閣、1973年)を一冊読んで何とかなると思ってしまったのである。

 当時の哲学科の主流は、カント、ヘーゲル、フッサール、ハイデガーとイギリス経験論(分析哲学)が二大潮流で、それ以外となると古代ギリシア、デカルトやライプニッツといった近世哲学、フランス思想は息をひそめて存在していた。そこには、中世哲学のかけらもなかった。

 1985年の夏、東大哲学科の助手、大学院生、学部生が五人ほど集まってドゥンス・スコトゥスの読書会を密かに始めたのである。私もそこに加わり始めてスコトゥスに出会った。

 哲学科では中世哲学は縁遠いものだった。東大で中世哲学の講義が開かれることは年に一コマ程度、非常勤講師によって散発的に開かれるだけだった。トマス・アクィナスの思想も知らぬまま、ドゥンス・スコトゥスという哲学者の存在の一義性という理論が注目されているらしいと、わかりもしない若者達が集まって読書会が始まった。隠れキリシタンのように、禁じられたもののごとく中世哲学は学び始められた。

異色の編集者・中野幹隆と出会い
中世哲学の海に投げ出された

 1986年の春、四月頃だったと思う。中野幹隆(1943~2007)さんから呼び出された。微かな面識はあったとしてもほとんど初対面の状態で、西神田の朝日出版社の社屋に赴いた。

 その前に、雑誌の『エピステーメーII』(編集部注/朝日出版社刊、中野は立ち上げ編集長)に、ロバート・L・マーティンの「嘘つきパラドックスの解法」というかなり長めの英語論文を私の翻訳で載せていた。1985年の夏頃に土屋俊さんの紹介で、その翻訳の仕事が私に回ってきたのだった。

 出版社に翻訳の原稿を渡すときに、中世哲学に関心があって、ドゥンス・スコトゥスを読んでいるということを話した。そのことに中野さんが興味を持って呼び出されたということだ。スコトゥスに出会った頃と中野幹隆さんに出会ったのが同じ頃だったのだ。偶然が人生を決めてしまったのである。

 中野さんは気の早い、気の短い人である。中野さんから、ドゥンス・スコトゥスの『存在の一義性』の翻訳を頼まれる事態になって、参考文献もない環境で、よい文献はないかと探していたら、なんと新刊案内に『存在の一義性』のタイトルを見つけ、これは助かると小躍りしたら、自分が訳すことになっている本だった。