今、世界的に注目を集めているのがエピクテトスという奴隷出身の哲学者だ。生きづらさが増す現代において、彼が残した数々の言葉が「心がラクになる」「人生の助けになる」と支持を集めている。そのエピクテトスの残した言葉をマンガとともにわかりやすく紹介した『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』が日本でも話題だ。今回は、本書の中から、「病気や死や貧乏を避けるならば、君は不幸になるだろう」というエピクテトスの言葉を紹介する。
病気や死、貧乏は自分では避けられない
エピクテトスの教えは、自分次第で避けることができるものだけを避けよ、というものだ。では、「自分次第で避けることができるもの」とは何だろうか?
常識的に考えれば、病気は自分次第で避けられるように思う。日頃から食生活に気遣い、身体を動かし、定期的に健康診断を受ける。そうすれば、ある程度は病気を避けられるはずだ。
貧乏もある程度は避けられそうだ。まじめに働き、節約して貯金すればいい。だとすれば、エピクテトスの「病気や死や貧乏を避けてはいけない」という言葉には矛盾を感じてしまう。
だが、突っ込んで考えてみると、いくら用心し準備したところで、病気や死を完全にまぬがれることはできないし、事故や災害などで資産を失ってしまう可能性も完全には排除できない。
それは、自分がどうこうできる裁量の範囲外にあるからだ。
しかし、我々はその「見たくない不都合な真実」から無意識のうちに目をそむけている。
「自分自身でどうにもならないこと」に期待してはいけない
つまり、ここでエピクテトスが勧めるのは、「不都合な真実」から目をそらさない態度だともいえる。
とはいえ、エピクテトスは健康のために努力するなと言っているわけではない。
彼が言いたいのは、健康のために努力するにしても、根本的には病気は避けられないことを自覚せよ、ということである。そうした自覚がないまま病気になると、人は大きなショックを受け無気力になってしまうかもしれないからだ。
どれだけ完璧な計画を立てて旅行したところで、旅先では予定外の出来事に見舞われる。計画通りにいって当たり前と思い込んでいる人は、突発的な出来事に直面した時に臨機応変に対処しづらい。反対に、旅行にはトラブルがつきものだと思える人のほうが、いざという時でもどっしり構えて対処できるものだ。人生もまた同じだと言えよう。
エピクテトスが一貫して伝えているのは、自分自身でどうにもならないことを願ってはならない、ということである。不測の事態は起こるものだと考えることが、常に自分を見失わない秘訣なのかもしれない。
(本原稿は、『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』からの抜粋です)