Photo by Yoriko Kato
東日本大震災が発生した当時、5600人余りの人口のうち4000人ほどが在宅していたといわれる宮城県名取市閖上地区。同地区では800人近くもの犠牲者が出た。実に5分の1近くの犠牲者が出たのはなぜなのか。
その最大の原因の1つは、あの日、市の全域で、大津波警報の発表や避難を知らせる「デジタル防災行政無線」が鳴らなかったことにあるという。
震災の2日前に起きた2011年の3月9日の地震ときや、1960年のチリ地震津波のときには、防災行政無線は鳴っている。いったいなぜ、あの日には、作動しなかったのか。
震災から1年9ヵ月経っても
「防災サイレン」は鳴らなかった?
「実は、昨年(2012年)12月7日の余震のときも、津波警報が発令されたのに、サイレンが鳴らなかったんです」
そう明かすのは、震災による津波で息子や両親を亡くした名取市閖上地区の遺族Aさんだ。
12月7日の夕方、三陸沖を震源とするマグニチュード7.3(速報値)の余震が発生。Aさんは市役所のそばの携帯電話店にいて、店内にいたために津波警報の発表を知った。
「これは大変だ」
そう思ったAさんは、車で市役所から10分ほどの仮設住宅に戻った。
「もし防災行政無線が鳴っていたら、そのまま仮設にいようと思っていました。しかし、津波警報が出ているのに何も鳴らないから、おかしいと思って市役所に行ったんです」
すでに道路は車で渋滞していた。それでもAさんが市役所に駆けつけたのは、地震から30分も経っていない頃だという。
「防災行政無線のある3階へ行くと、市長がテレビと窓の外を腕組みしながら見ていたんです。“なんで防災無線を鳴らさないんだ!”“なぜ同じことを繰り返すのか?”って、市長に言ったら、“騒ぐな!”と叱られました。すると、市役所の職員が“どうしたの?”と聞いてきたから、“何も鳴らなかった”などと説明すると、“いま、修理してるから…”って言われたんですよ」
もしその証言が事実だとしたら、防災上、あってはならない事態であり、震災の教訓は、再び生かされなかったことになる。