前回の大賞と仏教タイムズ賞受賞作品に続き、今回も二つの受賞作品をご紹介します。一つはネット時代の戒め、もう一つは高齢化社会の慰めです。年末年始にはお寺に行って、自分の心と向き合ってみましょう。(解説/僧侶 江田智昭)
正義を振りかざして
人を叩くことの愚かさ
今回も二つの受賞作品をご紹介します。まずは、お寺と地域コミュニティを結んで活動している一般社団法人寺子屋ブッダ提供の「寺子屋ブッダ賞」を受賞した照蓮寺(大分・日田市)の作品「うわさ話は賢こき人のところで止る」です。講評は以下の通りです。
分かりやすい言葉で、素直にハッとさせられた掲示板でした。自分の見識は正しいと勘違いし、うわさ話を広めている自分の愚かさに気づかされました。
この掲示板の言葉は、恐らく中国の荀子のことば「流言(りゅうげん)は智者に止まる」に由来しています。これは「愚か者は噂話(流言)をやたらと広めてしまうが、賢者は噂に興味を示さないため、噂話がそこで止まってしまうこと」を指した言葉です。
現在のインターネットやSNS上には真偽不明の噂が溢れ、真偽を確かめもせずに拡散する人が多く見受けられます。もちろん、そのような情報を最初に流してしまう人が悪いのですが、それを拡散した人も、残念ながら同罪になりますので、くれぐれも気を付けたいものです。
また、偽の噂に基づいて、他者を散々バッシングする人もSNSには数多くいます。さんざん叩いておいて、その後それが嘘の噂だと判明しても、そのような人はたいてい反省することも当事者に謝ることもありません。時には刑事事件になるというのに。
みなさんはこれまでにそのような行為をしたことはありませんか?
自分が加害者にならないためには、拡散する前に「この情報は果たして正しいのか?」と、立ち止まって精査することが大切です。たとえ情報が正しいと思っても、それを元に正義を振りかざすような姿勢は取らないほうがよいでしょう。
本願寺第八代の蓮如(れんにょ)上人は、『蓮如上人御一代聞書』の中で、以下のようにおっしゃっておられます。
たとい正義(しょうぎ)たりとも、しげからんことをば、停止(ちょうじ)すべき由候
これは「たとえ正しい教えであっても、何度も押し付けようとすることは慎むべきである」という意味です。自分が正義だと確信すると、そこに驕(おご)りが生まれます。正義を振りかざして他者を無性にバッシングしたくなったら、「果たして自分が正義なのか?」と省みる癖を付けたいものです。