かつての私の上司にそういう方がいます。大滝令嗣(おおたきれいじ)さんです。大滝さんは千葉県の南房総で南総学舎という学びの場を運営していらっしゃいます。そこには地元の樵(きこり)さんとか漁師さんとかいろんな人が集まってきます。大滝さんは、カリフォルニア大学電子工学科博士課程修了の工学博士で、2023年現在、早稲田大学 大学院 経営管理研究科の教授も務められている、とても偉い方なのですが、そういうことを表に出しません。肩の力を抜いて気くばりをしてくださいます。誰もが大滝さんの前では、自分のままでいられるのです。それに惹かれて大滝さんのところには人が集まってきます。私もそのひとりです。

 気くばりの中にも自然体でいられる気くばりと、そうでない気くばりがあります。明らかに自分に気を遣ってくれているなと感じる気くばりだと、受け取る側は構えてしまいます。気疲れしてしまうのです。それに対して自然体でいられる気くばりにはそういった構えがなく、気がつくと自分のことをたくさん話してしまい、とてもリラックスした気分になれます。それが自然体の気くばりです。

 自然体の気くばりができる域に達するのはそう簡単でもありません。最初のうちは一生懸命考えたり悩んだりするはずです。大滝さんにもそういう時期があったと思いますが、いまはそうした苦労をまったく感じさせません。その姿は、私の目指すべき姿のひとつです。

 この人の気くばりはいいなと思った人の真似をする。その段階は意図してやっているので自然とは言えませんが、だんだん自然にやれるようになってくるはずです。

 意識して自然体の気くばりを始めないと、いつになっても自然体にはなれません。苦労なく自然体になれる人もいるかもしれませんが、そんな人は例外、ごくわずかです。

相手が期待することを予見する

 最近、ホスピタリティという言葉をいろいろなところで、耳にするようになりました。お客さまと直接接することの多い飲食業界や、私がかつて勤めていたホテル業界において「おもてなし」の意味で使われることが多いようです。

 私は、ホスピタリティは、相手が期待することを予見して、あらかじめ考えて動くことだと定義しています。