古代の人々は、人が死んで体がなくなると、人は霊魂になり、霊魂が住むべき場所である山や海などに行くとイメージしました。その霊魂が神となって、現世に生きる人々を守ってくれるという“祖霊信仰”が生まれたのです。今でも、神道では、亡くなった人は先祖と共にその家の守護神として子孫を守る存在になると言われています。
祖霊たちは山の神、海の神として信仰されていましたが、やがて「氏神」という名で祀られるようになります。当時は血縁集団ごとに集落を形成していたので「血の繋がり」を意識し、同じ氏族の神を氏神としていたのです。
やがて、人々が移動しながら住むようになると、血の繋がりから土地の繋がりという地縁を重んじるようになっていきました。人々は、生まれた土地の神様を産土(うぶすな)神、移動先の神様を鎮守神と呼び分けていました。現代では産土神、鎮守神ともに氏神と呼ばれる傾向があります。
仏教が伝来すると、対抗するように社殿が造営され始めました。神社祭祀の始まりです。その代表的な建築様式は、神明造と呼ばれる高床式倉庫をイメージさせる建物です。
神社に建物ができると、貴族や武将などといった権力や資金を持った人々は、神社に様々な援助や寄進を始めました。援助や寄進をすることで、信仰を形で表そうと考えたからです。
さらに、戦勝祈願で危機を救れたなどの経験が加わると、より一層の信心を掻き立てられるのでした。こうして、時の権力者たちは、神々の力を借りて更なる上昇気流に乗り、同時に、神社側もパワーを増すというWIN-WINの関係が築かれていったのです。
そして近代になり、商業が発達すると、貴族や武士に変わって実業家や経営者たちが信仰の担い手となっていきました。