だからこそ、より詳細な情報を公開前から提示するし、公開中に最新予告や最新情報がプロモーションの一環として垂れ流されるのだ。

 しかし、この流れに逆行するかのように、『君たちはどう生きるか』は、文字通りタイトルとアオサギのようなものが描かれたポスターと、宮崎駿が監督したという情報しか消費者に与えられなかった。

 その結果、「情報が与えられていないモノを鑑賞する」という、トキ消費としての価値が消費者によって見出されたのだ。事前の情報を持った状態で映画を鑑賞するという形が定番化しているからこそ、何も知らず、怖いもの見たさで鑑賞するということ自体がイベント性を生み出す。

何も知らないコトを体験できる
非日常のイベントに参加する喜び

「何も知らない」という自身の状態こそに付加価値を感じ、自分自身が『君たちはどう生きるか』に対してまっさらな状態である権利を駆使することが、映画館に足を運ばせる動機となっているのである。

 何も知らないで観にいくという、その情報を持たない人だけが乗っかることができるイベントに自分も参与する権利があるのならば、その権利そのものが鑑賞の理由になってもなんらおかしくはない。

 また、何も知らないで観にいくという、その情報を持たない人だけが乗っかることができるイベントを体験した人々は、今度は「実際に観た=トキ消費をした」という権利を駆使して、SNS上で映画に関する内緒話(内容に関する匂わせや、観た者同士でしか伝わらない会話)を公に始める。

 視聴前と視聴後の2回にわたって『君たちはどう生きるか』をフックに一時的に盛り上がる、まさにカーニヴァル化が生まれるのである。こうした人々の拡散力だけでも十分なプロモーションにつながったと言える。

 2023年6月、「金曜ロードショーとジブリ展」の開会セレモニーにて、鈴木は次のように語っている。

「いろいろ考えているうちに一切宣伝がなかったら、皆さんどう思うんだろうと考えてみた。僕の考えですけど、これだけ情報があふれている時代、もしかしたら情報がないことがエンタテインメントになる。そんなふうに考えました」。

 鈴木の読み通り、情報がないということが、(1)何も知らないで観るというトキ消費、(2)情報を持っているという優越感を媒介に生み出される観た者同士でのカーニヴァル化、(3)コンテクストがまったくわからないキービジュアルやタイトルのネットミームとしての消費、という3つの次元でエンターテインメントとして昇華したわけだ。