タイパやコスパの追求は「損をしたくない」という価値観が生み出しているが、要するに「消費したお金や時間に対して高い費用対効果=満足な経験」が得られることを期待し、もしくはそのような経験が得られることは当然であると多くの消費者が思っているのだ。
だからこそ、昨今の映画鑑賞体験で一般的になった、事前情報を浴びるように消費し、自分の想像や思い描いた内容に近いほど感情が揺さぶられないためストレスが少なく、求めている水準(内容=満足)を得られているかを本編と自身の想像(理想)とをなぞりながら答え合わせするかのように視聴する、という消費の仕方では得られない体験を視聴者はできたのではないだろうか。
映画は身近な非日常を体験できるモノとして昔から消費されてきたが、今ほどプロモーションがされていなかった時代、映画に対する個人の予想や想像は本編と大きくかけ離れていて、その意外性や没入感が非日常性をますます演出していたのではないだろうか。
本作は、昔のように限られた情報をもとに、各々が映画に対するとりとめもない予想や想像を膨らませて、実際に映画を鑑賞し、それが大きく裏切られることで生まれる非日常性や意外性を消費するという、ある意味で原点回帰の映画鑑賞体験である。
とはいえ今後、別の作品が本作にならってプロモーションなしで公開したところで、話題にすらならないだろう。今回、広く話題性が消費者に伝播していったのは、制作スタジオが「あのジブリ」で、しかも監督が宮崎駿だったということが最も大きな要因だからだ。
もちろん、前述したようなトキ消費と類似した映画体験ができるという話題性がトリガーになっているのは確かだが、リスクを冒してまで実態のわからない映画を観にいくという消費行動を担保しているのは、スタジオジブリの確固たるブランド力であろう。
日本において、ジブリのコンテンツにはディズニー同様に強いロイヤリティを持つ消費者が多い。内容はまったくわからなくても、過去の作品への高い評価がスタジオジブリに対する高いロイヤリティを形成しているのだ。