後出しの政府発表
限りなく遠い本当の収束

 あの日、筆者は「ダイヤモンド・オンライン」編集長とともにテレビの前でずっと福島原発の映像を会社で見ていました。翌12日も見ていました。

本文で指摘された、メルトダウンが避けられない原発の構造上の脆さ。
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 筆者は『原子炉時限爆弾』を読んでいたので、おそらくステーション・ブラックアウトとなった福島第一原発の免震重要棟では、なすすべもなくメルトダウンにいたる光景を見ているだけだろうと思いました。ようやく電子メールが通じるようになっていたので、連絡のとれた人に「家から出るな」と伝えました。テレビでは官房長官が「制御できています」と言っていました。12日午後3時36分、1号機の建屋が水素爆発で吹き飛びます。やがて首都圏にもヨウ素131やセシウム137が到達することになります。

 続いて3号機が14日、2号機と4号機は15日に爆発、あるいは火災が起きて激しく損傷します。膨大な放射性物質が噴出しました。

 官房長官や学者らは「放射線は観測していますが、100ミリ・シーベルトまで安全です。ただちに健康に影響するものではありません」とテレビで言い続けていました。

 その後、けっきょく4基の原子炉のうち、運転中だった3基で現実にメルトダウンしていたことがわかります。かなりあとになってからです。このようなシビア・アクシデントを考えもしなかった東京電力と政府の「想定外の事態」により、対策はすべて遅くなりました。国際基準でチェルノブイリ原発事故(1986年)並みの「レベル7」だった、と認めたのもかなりあとのことでした。

 冷却水は損傷した圧力容器から漏れ出ているので、延々と水をかけて冷やしているしか方法はありません。それは2年以上経った現在も同様です。除染して循環させているといっても、汚染された冷却水は貯まる一方で、発電所内にタンクが林立する光景となっています。

 なんとなく時間が経過すれば「収束」するような気がしますが、状況は2年前と同じです。少しずつ現場の努力でガレキを片付け、核燃料を取り出す準備を進めていますが、4基を廃炉にするまで、東電は40年かかるとしています。しかし、完全な除染まで含めれば100年はかかるでしょう。それでも放射性廃棄物の処理は終わりません。それどころか、最終処分の方法、場所すら何も決まっていないのです。