今回のトヨタ報道でも「問われる」だらけ
そんなメディア忖度を象徴する「問われる」というワードが、今回のトヨタの不正を報じるニュースのタイトルや記事内容で頻出している。その一部を抜粋しよう。
《問われる「トヨタ」企業統治 豊田織機不正、染みついた受託体質》(毎日新聞1月29日)
《(ナレーション部分)日本の“ものづくり”の最前線で拡大する不正の数々…。改めて「トヨタブランド」のあり方が問われています》(読売テレビ『「キャンセルの可能性」納車は白紙に…トヨタ不正で10車種出荷停止 広がる影響に関西の企業も困惑』1月30日)
《不正拡大、問われるトヨタ流 ダイハツに続き織機でも》(朝日新聞1月30日)
《(記事本文中)品質への信頼が揺らぐ事態となっており、変革に向けた取り組みの実効性が問われている》(読売新聞『グループ各社はトヨタに「もの言えない」、豊田章男会長認める…トップ交代で「意見出やすくなった」とも』1月31日)
ここまでわかりやすい不正をしているのだから、企業統治や「トヨタ流」に致命的な問題があるのではないか、と厳しく問うのがテレビや新聞の役目なのに、なぜそんなに腰が引けているのか。
ビッグモーターで不正が起きた時はテレビも新聞もあれほど嬉々として、創業者一族支配や社内のノーと言えない空気の原因を問いただしていた。「問われるパワハラ体質」なんてぬるいことは言ってなかった。
ならば、トヨタでもそれをやるのが筋ではないか。他社ではあれほどやっていたことを、トヨタだけにはやらないとなると、「忖度」と指摘されてもしょうがない。
なんてことを口走ると、「中立公正」「社会の木鐸」を掲げるマスコミや立派なジャーナリストから「おかしな難癖をつけるな!トヨタとダイハツやビッグモーターでは不正の種類や規模、期間、悪質さが全然違うから報道のトーンが違うだけだ!」という厳しいお叱りを頂戴しそうだ。
ただ、本当に中立公正な目で「悪質さ」を批判したいというのなら、今回のトヨタの不正は、ダイハツの不正の1.5倍くらい厳しく叩かれなくてはいけないはずだ。
ダイハツの不正は、親会社であるトヨタの「不正カルチャー」の影響を受けた可能性もあるからだ。