日本航空(JAL)で、初の客室乗務員(CA)出身の社長が誕生することが決まった。極めて珍しい話だが、決して奇をてらったトップ人事ではない。経営破綻したJALを再建するに当たって、「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏が進めた改革を振り返ると、その理由がよく分かる。(イトモス研究所所長 小倉健一)
年明け早々から飛び出した
JALにまつわる「二大ニュース」
2024年になって、日本航空(JAL)から大きなニュースが二つ、飛び出した。
一つは、1月2日18時前に、羽田空港のC滑走路で起きたJAL516便と海上保安庁の航空機の衝突事故だ。この事故で海上保安庁の機体に乗っていた6人のうち5人が亡くなったが、JAL側は子ども8人を含む乗客367、乗員12人の計379人全員が炎上する機体から脱出することができた。
乗り合わせた乗客は、当時の状況を振り返って次のように語っている。
《主翼のすぐ後ろの席に座っていた。着陸する前は特に異変はなかったが、着陸した瞬間にものすごい衝撃を感じた。しばらくして外に炎があがるのが見えて機内も焦げ臭い臭いが立ちこめた。機内では「キャー」という叫び声が聞こえ、客室乗務員が「落ち着くように」とか「立たないでください」などと案内していた。煙が充満してきたので、口と鼻を押さえて身を低くして避難するように言われ、出口から案内されて避難した》(NHKの取材に応じた22歳の男子大学生、「NHKニュース」1月3日)
JALの赤坂祐二社長は会見で「乗務員が日頃の訓練を存分に生かしてくれた」「何よりご搭乗のお客さまのご理解とご協力があってこそであった」と述べている。
JALがトップ人事を発表
「異例ずくめ」の新社長が誕生へ
もう一つの大ニュースは、4月1日付人事で、JALの新社長に就任する鳥取三津子氏だ。JAL初の女性社長、JAL初の客室乗務員(CA)出身社長、JAL初の短大卒社長、JAL初の経営統合された旧JAS出身社長という、異例ずくめの社長人事であった。
鳥取氏は福岡県出身で、長崎市の活水(かっすい)女子短大を卒業後、1985年に東亜国内航空(のちの日本エアシステム=JAS)に入社し、客室乗務員としてのキャリアをスタートしている。
先の事故におけるCAの果たした役割について「ものすごく怖かったと思うし、自分にできるだろうかという気持ちもあったと思うが、一人残らずお客さまを必ず脱出させるという使命感があの9人全員にあったのが一番大きかった。誇らしく思う」と述べている。
一般的に、CAが経営者になるのは珍しいことだ。しかし、「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏がJALに施した改革を振り返ると、今回のトップ人事が奇をてらったものではないことが分かる。その理由をひもといていこう。