「投資の神様」バフェットが
「天才」ではない理由

「投資の神様」バフェットが「天才」ではない理由、天才研究の第一人者が断言する当代随一の天才とは誰だ?Craig Wright(クレイグ・ライト)
米イェール大学音楽学部名誉教授。専門は音楽史。ニューヨーク州北部のイーストマン音楽学校(ロチェスター大学)でピアノと音楽史を学び、ハーバード大学で音楽学の修士号と博士号を取得。米中西部のケンタッキー大学を経て、東部コネティカット州のイェール大学で教える。元イェール大学音楽学部責任者。「天才の資質探求」講座で人気を博す。優れた学部教育をたたえるイェール大学のセウォール賞などを受賞。著書に『イェール大学人気講義 天才~その「隠れた習慣」を解き明かす』(すばる舎、南沢篤花・訳)など。Photo by Andrea Hillebrand

ライト バフェットが広めた、本来の企業価値より割安な価格で株を購入するという「バリュー投資理論」は、(「バリュー投資の父」といわれる)米投資家・経済学者のベンジャミン・グレアムが提唱したものだ。バフェットはコロンビア大学ビジネススクールで学んだとき、恩師のグレアムからバリュー投資理論を学んだ。

 天才は、誰にも見えない(独創的な)ものを「一番乗り」で見つけなければならない。バリュー投資理論を最初に打ち出したのはグレアム(と、コロンビア大の経済学者で投資家のデービッド・ドッド)だ。バフェットはグレアムの下で同理論の発展に貢献し、自身の投資会社バークシャー・ハザウェイの経営に応用したが、最初の提唱者ではない。

 そうは言っても、バフェットはグレアムの理論を見事なまでに実践し、世間に広めたのだから、「天才」と呼ぶにふさわしいのではないかという異論が聞こえてきそうだ。確かに、もともとの提唱者はグレアムだが、バフェットは同理論を基に、巨額の富を生み出す投資会社を築き上げ、大成功を収めた。これはとてつもなく重要なことだ。

 もしかしたら、バフェットも、ある意味で天才と言えるかもしれない。「天才」とは、いったい誰のことを言うのか? この問題は面白いが、難問でもある。

――天才は強迫観念に駆られているため勤勉であり、遺伝よりも自分自身の「努力」に価値を置く傾向があるそうですね。しかし、「努力にも限界がある」と、教授はご自身の経験に照らして書いています。コンサートピアニストを目指して最高の指導の下で練習を積んだにもかかわらず、たった1つ欠けているものがあった。それは、音楽に関する「優れた才能」だと。

 世間の人々は、1万時間の法則という「練習」のマントラに飛びつくが、練習は「結果」であって、まずは「天性の優れた才能」ありきなのだと、主張していますね。また、練習は「すでにあるもの」を完璧にするが、天才が起こすようなイノベーションを生まないと。

ライト 優れた才能と練習・努力の両方が必要だ。一方、天才はこぞって、自分たちの成果をハードワークのたまものだと言う。「私が一心不乱に努力したからだ」と。ほかの人には聴き取れない音を聴き取れるように生まれついたとしても、「これは親から受け継いだ」「私が頑張ったからじゃない」などと言う天才は一人もいない。

 だが、私自身の経験から言わせてもらえば、私も一生懸命ピアノの練習に励んだ。ピアニストを目指す人間として、数々の強みにも恵まれていた。ほら、見えるだろう? 私の両手はとても大きいんだ。あらゆる面で有利だった。それなのに、コンサートピアニストになれなかった。なぜか? それだけの音楽的才能がなかったからだ。

 叔父は絶対音感を持っていた。きょうだいにも孫娘にも絶対音感がある。私の家系には音楽の遺伝子が脈々と流れているが、私には回ってこなかった。

 あふれるような才能があれば、それを生かしたいという欲求が生まれ、必死に努力する。才能がある人にとって、練習や努力は「喜び」だからだ。才能があれば情熱を傾けて取り組み、人々から成果を称賛され、物事が有利に運ぶ。「Nature(生まれ)」、つまり、生来の才能はそれだけにとどまらず、「Nurture(育ち・育むこと)」にもつながる。

 “Practice makes perfect.”と言う言葉がある。「練習がパフォーマンスを完璧にする」という意味だが、これは真実ではない。誰かが練習を積んで高レベルの成果を上げたとしても、その人が生まれつき持っている才能を考慮に入れていないからだ。

 練習偏重の考え方には、もう1つ問題がある。練習は、様式化された既知のものを行うことであり、現状維持を意味するからだ。練習に励んでも、まだ見ぬ「未知」のものに対処できるようにはならない。私たちに必要なのは、(天才によって発見される)型にはまっていない未知の何かだ。

 天才になるカギは生まれか育ちか? それとも、ハードワークか? 経験か? もっとも大切なのは「好奇心」だ。「好奇心の遺伝子」などというものはないだろうが、好奇心は生得的なものによるところが大きい。私の4人の子供たちを見ても、好奇心の大きさに差がある。

 なぜ、好奇心が重要なのか? 物事を新しい視点で見る必要があるからだ。著書の中で、ジョブズの言葉を引用したが(第9章)、変革をもたらすような洞察や発明は物事を「組み合わせる」ことから生まれる。好奇心があれば、異なるものの中に潜む関連性が見えてくる。

 例えば、留学なども好奇心のなせる業ではないか。居心地がいい、日本という母国を飛び出し、異国の地である米国に渡ってくるのは、「世界を見てみたい!」と思うからだろう。

 「情熱」も非常に重要だ。私が研究した天才のほぼすべてが情熱にあふれていた。天才は、自分の頭の中にある、誰にも見えない何かを実現させたいという強迫観念に突き動かされているのだ。「ほら、これが見えないかな? これだよ」と、世間に示したい一心で、粘り強く踏ん張る。

 とはいえ、生まれと育ちの関係に、これという答えなどない。人より少し才能がある程度でも、一心不乱に努力し、運とタイミングに恵まれれば、かなりまれなケースだとは思うが、「天才」になれるかもしれない。

――往年のヒット作『アマデウス』(米映画、1984年)では、ウィーンの宮廷音楽家サリエリが、若き天才作曲家モーツァルトの並外れた才能に打ちのめされ、嫉妬・葛藤する様子がリアルに描かれています。サリエリは、天賦の才を神から与えられなかったことを恨みつつ、「モーツァルトの天才性を理解する才能」だけ与えられたことに苦悩します。

ライト まず、言っておきたいことがある。世界を変えるような人々は極めて少ないということを認識しなければならないという点だ。何百万人に1人くらいしかいない。つまり、私たちのほとんどは違う。では、天才でないからといって意気消沈し、悲愴(ひそう)な思いで一生を送るのか? 

 幸運にも、私はとても楽観的な性分に生まれついた。私たちは、自分が何百万人のうちの1人ではないという事実を受け入れ、自分のなかで折り合いをつけなければならない。私たちの大半はとても平凡だが、成功している人も多く、幸福な人生を送れる。世界を変えられなくても、社会に役立つようなことができる。

 世の中を動かすのに必要なのは、(天才でないとはいえ)大きな成功を収めている人々だ。士気が高く、毎日、一生懸命働いて仕事を片づける人々だ。彼らこそ、天才が思いつくアイデアを実行に移す人々であり、彼らなしには、天才が(発明などに)費やす時間が無駄になってしまう。

 私は4人の子供と7人の孫に恵まれたが、幸運なことに子供たちは成功しており、この記事を読む読者の大半も大きな成功を収めていることだろう。だが、彼らは天才だろうか? そもそも、天才かどうかは重要なことなのか? 

――私たちのほとんどは天才ではありません。その事実を受け入れつつも士気をくじかれることなく、ポジティブな人生を送り、成功をつかむには?

ライト まず、「悲観するな」と言いたい。「失敗」は人生のプロセスだ。米著名司会者オプラ・ウィンフリーは、かつて(ハーバード大学の卒業生に向けた祝辞で)、「失敗は人生を別の方向に導く機会だ」というようなことを言った。

 私の場合もそうだ。ピアニストにはなれなかったが、その失敗に打ちのめされてはいけないと思った。もっと自分に自信を持とう、と。人生を探検し、好奇心を持ち、「本当に得意なものは何か」「人生で心からやりたことは何か」を見いだすことが大切だ。

 失敗しても、自分に自信を持つべきだ。そうすれば、ほかの道が開ける。

 現在、映画の脚本も書いている。名作だと自負しているから、「この映画は大ヒットする。世界を変える!」と、周りを説得している最中だ。私は天才(・脚本家)なのか? はたまた、エンタメ業界に疎いだけなのか? 答えが出ない難問だが、「自分は正しい」という自信を持たねばならない。もしかしたら、ただの愚か者かもしれないが。

――教授の著書には「天才とジェンダー」の章があります。歴史を振り返ると、女性への偏見によって、天才になりうる女性の多くが「その可能性を圧し潰されてきた」そうですね。女性にはハンディキャップがあると。

 女性が天才として認められるには男性より多くの努力が必要だということですが、日本社会における女性の出世・成功にも同じことが言えます。女性の能力が男性と同等に評価され、正当な処遇が施されるような社会にするために、日本企業の男性幹部は何をすべきですか。

ライト 女性を活用しないのは、日本社会の半分を占める「人的資本」を無駄にしていることを意味する。実にばかげたことだ。米国では今や、大学進学者数の男女比は女性のほうが高い。医学部も例外ではない。女性が男性より稼ぐ世帯も増えている。

 こうした変化に伴い、米国人の考え方も変わってきた。例えば、義理の息子の1人は米銀大手の幹部だが、子供たちの面倒を見るために休暇を取った。世の中は変化しているのだ。

 日本社会には、生活の質や法の下の平等・正義が重要だという価値観が根付いているはずだ。それなのに、ジェンダーを基に女性を公正に扱わないとしたら、ばかげていると言うしかない。そうした企業は自社の可能性をつぶしているのと同じだ。

 数学的才能にせよ創造性にせよ、その人にとって最適なスキルがジェンダーに左右されるようなことはない。そして、男性が持っているスキルや才能が女性には欠けている、などということもない。