夕方6時頃、風向きが逆に
火の延焼方向が読めず人々は混乱に陥る
――関東大震災が起きた日の、東京市の気象データというのは、残っているのでしょうか。
ウェザーニューズ・山口剛央氏(以下、山口) 火災によって中央気象台(現在の気象庁)の建物の一部が焼けてしまいましたが、観測自体は粛々と行っていたんです。ただ、現地で天気図の作成はできなくなり、この日、中央気象台は天気図を作成していません。
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気象庁のWebサイトで過去の気象データを見ることができるのですが、1923年9月1日と9月2日の欄は「X」になっています(右図参照)。
これは火災によって気温が異常値となったためです。風速なども観測はしていましたが、公表データには入力されていないようです。
――中央気象台が保管していた過去の気象データなどの資料は焼けずに済んだのですね。
山口 当時の職員たちが守り、焼けずに済んだようです。東京の気象台は1875年の6月から記録を続けていますので、もし焼けてしまったら、約50年分の気象データが失われるところでした。でも残念なことに、それまでの地震原簿(※)は燃えてしまいました。
※地震に関する調査原簿。各観測点で揺れを検知した時刻や震度などの観測結果をまとめたもの。現在、気象庁のWebサイト「震度データベース検索」には1919年からのデータが反映されているが、これは震災を免れたほかの気象台や測候所に残っていた原簿を基に、近年、再計算したものとなる
――当日は台風の影響で風が強かったようですね。
山口 中央気象台は天気図を作成していませんが、神戸の気象台が作った当時の天気図が残っています。その天気図を見ると、8月30日夜に九州へ上陸した弱い台風が、8月31日には瀬戸内海を通り、東北の三陸地方へ向かっていました。
東京にはその影響で南から風が吹いていて、その最中に地震が発生します。お昼の時間でしたので、台所などから相次いで火事が発生。火災は南風に乗って、北へ広がっていきました。
台風の南西方向に前線(※)があったんですね。9月1日の夕方6時頃、台風が東北方面へ移動するに伴い、関東付近を前線が通過。ここで、風向きが南方向から徐々に北西方向へと変化します。
※暖かい空気と冷たい空気、あるいは、乾いた空気と湿った空気の境目
――夕方6時頃から風向きが変わり、南からの風に乗って北へ広がっていた火事が、今度は北からの風に乗って南へ燃え広がるようになった。逃げる人たちは大変ですね。どっちへ逃げたらいいかわからない。
山口 ずっと同じ風向きで風が吹き続けるのであれば風下側へ火が広がっていくのですが、このときは、途中で風向きが逆になったため、燃える方向が大幅に変わってしまいました。「うちの方には何とか火が回ってこなさそうだ」と安心していたら、夕方になって急に自分たちの家に火が迫ってくるわけです。大混乱したはずです。火事は収束する気配を見せず、次の日になっても燃え広がっていきました。
――火災旋風はどのようにして起こったのでしょうか。
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山口 こちらの図を見てください。一番上のグラフの黒い丸が、中央気象台があった場所の風速です(右図参照)。今の大手町辺りですね。風向きが変わった夕方から夜にかけて21メートルの風を観測しています。
ただこの時代、現在の風速計とは異なる仕組みの風速計で測っていたんです。当時の風速計というのは、実際の風速よりも大きめに出てしまう。関東大震災後、しばらくして、「この風速計、実際の風よりも何だか大きめに出ていないか?」と気付き、より正確に測ることのできる新しい風速計を使うようになりました。
ですので、当時の記録に補正をかけた値が、正しい値となります。当時の記録を参照するときは、だいたい0.7を掛けるんです。ですので、当時の記録で風速21メートルということは、今でいう風速15メートルぐらいですね。風向きが変わった夕方頃から夜にかけて、かなり強い風がびゅんびゅん吹いていたわけです。
次の日の9月2日の風速も見てみましょう。風速6〜7メートルなので、0.7を掛けして補正すると5メートルぐらいの風が吹いていたようです。風というのは場所によってだいぶ変わるので、一概には言えないのですが、前日の台風ほどの強い風ではなかったにもかかわらず、火災旋風が起きているわけです。
――「台風の影響で強風だけど雨が降っていない状態」の中で火災が多発すると起こるのかなと思いましたが、火災旋風が猛威を振るったとされる9月2日は、地震の発生した9月1日に比べて強風ではなかったのですね。となると、どういった条件下で火災旋風が発生するのでしょうか。