仕事を終えて家に向かうとき、モスクワは新年を前にした、いつもの街だった。不穏な空気はなかった。だが、外国人職員に与えられたアパートの部屋に帰ると、日本から問い合わせの電話が次々に鳴った。
「ソ連がなくなってしまうのですね」
自分が読み上げた原稿に関して、マスコミ関係者らが確認を求めたり、街の様子を尋ねたりしてきた。
東西イデオロギーの対立が終わっても
日本語放送は2017年まで続いた
12月25日、クレムリンにはためいていた赤地に金の鎌と鎚のマークがついたソ連国旗が降ろされ、代わりに白青赤三色のロシア連邦旗が掲げられた。
モスクワ放送は「ロシアの声」と名を変えた。インターバル・シグナルもムソルグスキー(ロシアの作曲家)の曲に変わった。“キエフ(キーウ)の大門”をテーマにした曲だ。
日向寺さんが「別の国(ウクライナ。かつてはソビエト連邦の構成国だったが、ソ連崩壊で独立国家になった)のことをテーマにしているのでは?」と尋ねたが、ロシア人のスタッフは「ルーシ(古代ロシア)はあそこから全てが始まっているのだから」と問題にされなかった。
1990年代半ば、ロシア社会は「ギャング資本主義」と呼ぶ混迷の時代に突入していった。局を統括する政治家は「儲からないものは民営化」の路線に転換し、モスクワからの外国語放送は30言語ほどに減らされた。
東西冷戦はとうの昔に終わり、さらに東側そのものが世界から消えていた。東西双方の陣営にとって、放送を通じてお互いの思想をアピールし合う時代ではなくなっていた。
イデオロギーに縛られることはなく自由になったが、それは同時に、放送を運営する国家からすれば、お金をかけてまで宣伝するものがなくなっていたことを意味する。
2014年のソチ冬季オリンピックを前に、「ロシアの声」とノーボスチ通信社が合併することが大統領令で決められた。日本語放送はその名が「ラジオ・スプートニク」と改められ、ラジオからインターネットだけの放送へと変わった。