テクノ・リバタリアンたちの複雑な利害関係
2015年のはじめ、「Yコンビネーター」というスタートアップ支援組織のCEO(最高経営責任者)をしていたサム・アルトマンは、シリコンバレーのローズウッド・ホテルでAI研究者の小さなグループを招集した。そこには、ヒントンといっしょにDNNAリサーチを設立したイリヤ・サッツケーバーの姿もあった。遅れてイーロン・マスクが到着したが、ほかの者たちと同じく、これがなんの集まりなのかはっきりと知らなかった。
アルトマンは、閉鎖的なプラットフォーマーのあいだで急速に拡大しているAI開発に対抗するため、オープンソースの新しいAI研究所をつくろうとしていた。Yコンビネーターのスタートアップのなかでもっとも成功したオンライン決済会社「ストライプ」のCTO(最高技術責任者)の地位を退いたばかりのグレッグ・ブロックマンはその話に強く惹かれ、自ら多くのAI研究者に連絡をとると、何人かが人工知能への危機意識を共有していることがわかった。彼らはプラットフォーマーの支配下になく、「活動の動機が営利とは完全に無縁な研究室」というアイデアに魅力を感じていた。
アルトマンとブロックマンの説得で、サッツケーバーを含む10人ほどの研究者がオープンAIの創設に参加することになった。そのうち5人はグーグル傘下のディープマインドに所属しており、ハサビスはこの引き抜きに激怒し、ペイジもマスクと絶縁した(株主ではなく理事会による独特の統治制度もこのときつくられた)。
その後もAI開発の人材争奪戦は激化するばかりで、オープンAIからグーグルに戻る者も、スタートアップを設立する者もいた。イーロン・マスクみずから、コンピュータ・ビジョンの専門家をオープンAIから引き抜いて、テスラの人工知能部門の責任者に据えた。2018年2月、マスクはオープンAIから身を引くが、これはアルトマンとの確執というよりも、利益相反を避けるためというのが理由だった。
アルトマンがオープンAIを仕切るようになると、新たな人材と資金を集めることが急務になった。大規模言語モデルには、エヌビディアなどが開発するAIの強化学習向けのチップを搭載したハードウエアへの巨額の投資が必要で、サティア・ナデラが新CEOに就任したマイクロソフトがオープンAIに100億ドルを出資することになった。
さらに2018年4月、アルトマンと研究者たちは、オープンAIの新しい定款を発表し、「生成モデルや顔認証の実現や、自律兵器の脅威が引き起こした騒動を目の当たりにしたいま、今後は世界全体におよぼす影響を考えたうえで、技術を公開しない場合もある」と変更した。マスクはこれを、オープンソースのAIを開発するという創業理念の裏切りと見なし、アルトマンと絶縁した。
この頃から、サッツケーバーはAGIの実現が近づいており、それは「コンピューティングの津波、もしくは人工知能の雪崩になる」と懸念するようになった。「これは、ほとんど自然現象のようなものだ。止めようのない力だ。あまりにも有用なので、存在しないわけにはいかない。私たちに何ができるというのか? 右へ左へと、うまく誘導するぐらいだ」とケイド・メッツに語っている。
サッツケーバーが賛成したことで2023年11月にアルトマンは理事会に解任され、従業員の反発で5日後にCEOに復帰する騒動が起きた。2024年2月にはマスクが、「人類のための使命を放棄した」としてアルトマンらを提訴する事態になった。いまや莫大な富をもつとてつもなく賢い者たち(テクノ・リバタリアン)が、複雑な利害関係のなかで、お互いに利用し合ったり、敵対したりしながら、人類の未来をつくっているのだ。
●橘玲(たちばな あきら) 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)、『シンプルで合理的な人生設計』(ダイヤモンド社)など。最新刊は『テクノ・リバタリアン 世界を変える唯一の思想』(文春新書)。
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