【長崎東高校】華麗なる卒業生人脈!ゲス極・川谷絵音、核廃絶運動家の田中熙巳、元三菱重工社長の相川賢太郎…「ゲスの極み乙女」の川谷絵音 Photo:SANKEI

原水爆禁止などに
関わる多くのOB

 長崎は坂の街だ。長崎東高校は、長崎市街と長崎港を眼下に眺望できる金比羅山の中腹にある。旧制の県立長崎中学校など4校を前身としており、さらにその源流をさかのぼると、1858年に江戸幕府が開いた英語伝習所にたどり着く。

 長崎市は、広島市と並ぶ原爆被爆地だ。卒業生で原水爆禁止や平和運動に努めている人物が、たくさん出ている。

 日本原水爆被害者団体協議会代表委員の田中熙巳(てるみ)がOBだ。田中は旧制長崎中学1年時に被爆し、親族5人を亡くした。長崎東高校を卒業後、東京理科大に進み、核や原爆について研究し東北大助教授になった。日本原水爆被害者団体協議会事務局長に就任、後に代表委員になり、核廃絶運動家として活動している。

 2017年12月にはICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)に、ノーベル平和賞が授与された。授賞式には、被爆者の代表の一人として田中が出席した。

 核兵器廃絶地球市民長崎の宮田隆は、2022年にウィーンで行われた一連の核兵器禁止条約会議に参加した。

 2009年に国と和解した原爆症認定集団訴訟原告団の団長・山本英典、原水爆禁止日本国民会議議長の川野浩一らもOBだ。

 病理学者で長崎大学長を務めた土山秀夫は、世界平和アピール七人委員会委員で、市民による平和運動を推進した。2017年9月に死去した。

 1975年に芥川賞を受賞した林京子は、受賞作『祭りの場』で学徒動員中に被爆した体験を記した。林は長崎東高校の前身の一つである県立長崎高等女学校出身で、2017年2月に死去した。

 詩人、エッセイストの福田須磨子も長崎高女出身の被爆者で、自伝小説『われなお生きてあり』で、田村俊子賞を受賞した。

 長崎東高校定時制5回生の森重子は、2008年8月9日の長崎平和記念式典で「平和への誓い」を読み上げた。森は、原爆で両親、兄を亡くした。