大変革期に人生を劇的に飛躍させた
福沢諭吉の3つの秘密

 幕末、福沢諭吉は下級武士の家に生まれながらも江戸幕府を代表する使節団の一員として訪米・訪欧し、明治維新後には日本を代表する教育家・啓蒙思想家となりました。140年経った現在でも彼の名声評価は衰えることを知りません。なぜ、激動する時代に諭吉はこれほどの飛躍を実現できたのでしょうか。

 諭吉が幕末明治期に大飛躍を成し遂げることができたのは、以下の3つの要素が影響していると考えられます。

1. 本当に有効な「5つの実学」
2. 実学を現実の社会で活かすための「人望論」
3. 古いパラダイムが崩壊する時、優れたアウトサイダーだったこと

 以下、諭吉の飛躍「3つの秘密」を順番に解説してみたいと思います。

1. 大変革期に人生を好転させる
「5つの実学」とは?

 1872年から発行された『学問のすすめ』は、現在の問題を解決できない古い学問は後回しにして、現在の日常に役立つ「5つの実学」こそ最優先で学ぶべきだとしています(以下『学問のすすめ』初編から抜粋)。

(1)自らの日常に役立つ学問
(2)世界の見聞を広めてくれる学問
(3)実務を適切に処理できる学問
(4)物事の性質を見極める学問
(5)今日に必要とされる問題解決ができる学問

 実学の5つの要素は、社会や日常生活で役立つことに主眼が置かれており、今現在わたしたちがこの「実学」に従って学ぶことを選んでも、十二分に通用します。

 さらに注目すべきは、井の中の蛙やガラパゴス化と呼ばれる類の、硬直的で視野の狭い「学び」がまったく含まれていないことです。世界の見聞を広めながら、今日に必要とされる問題解決ができる学問を学ぶなど、再度のグローバル化が叫ばれる日本企業のビジネスマンの必要性を、ぴたりと言い当てているのではないでしょうか。

 20代に大阪で洋学を学んでいた諭吉は、西洋列強の影響からいきなり中津藩の江戸屋敷で、蘭学講師となりました。これは彼に才能と能力があっただけなく、まさに「今日に必要な問題解決ができる学問」を修めていたからに他なりません。一方で伝統的な古い学問に対しては、

「学問とはただ難しい文字を知り、難しい古文を読み、和歌や詩を作るなど、世間に実益のない学問を言うのではない。これらの学問も人の心を楽しませるものだが、古くから儒者や漢学者が言うほど、あがめ奉るほどのものではない」(『学問のすすめ』初編より引用)

 としています。ちなみに諭吉は10代で当時武士の教養と考えられていた漢学を学び、講師の前座を務める程度までは上達しますが、固定的な身分制度を飛び越えるほどの飛躍は出来ず、逆に当時最新の洋学を学んでいく過程では、人生の飛躍を何度も成し遂げることになりました。

 儒学・漢学はすでに、西洋列強が出現した今日の問題を解決できず、さらに言えばこの学問を修めた人物が出世できずに大行列をなしていたような状態だったのでしょう。一向に前に進まないスーパーのレジや高速道路の渋滞のようなものです。

 大変革期に「実学」を学んだ諭吉は、逆にスイスイと世の中を駆け上がっていきました。彼が目指した実学は、パラダイムの変化をむしろ活用できる学習方法だったのでしょう。