2. 社会で活躍するための4点で
「人望論」を重視したこと

 あらゆる道具は、それを使いこなせなければ意味がありません。あまり知られていないかもしれませんが、『学問のすすめ』の最終章である17編は、実は「人望論」で締めくくられています。

「およそ人の世界に人望の大小軽重はあるといって、かりそめにも人に当てにされるような人物でなければ、何の役にも立たないものだ」(『学問のすすめ』第17編より抜粋)

【『学問のすすめ』が教える4つの人望論】
(1)何事を成すにもその分野で人から当てにされる人望が不可欠
(2)あなたの想いを上手く伝える「言葉の技能」を学ぶべき
(3)表情や見た目を快活にして、第一印象で人に嫌われないこと
(4)交際の分野を常に新しく広げて、世間に友人知人を増やし続けること

 諭吉は日本が初めて米国に使節団を送った咸臨丸へも搭乗していますが、当時その計画を知った諭吉は知人のつてを頼りに幕府の責任者と面談し、使節団に加えてもらうことを相手への直談判にて許可されています。

 能力が高くとも、人間関係を作り、調整ができない人が成功できず、出世もしないのは現代日本でもまったく同じです。諭吉は優れた学者・研究者でありながら、社会で活躍するために最も重要な「正しい人望を得ること」を重視して人生を飛躍させているのです。

3. 優れたアウトサイダーであること

 厳しい武士の身分制度、漢学が教養の中心となる文化だった江戸幕府において、下級武士の家に生まれた諭吉は、旧来の枠組みにどうしてもなじめないある意味でアウトサイダーでした。また当時最新の洋学を学ぶ書生たちも、社会の中で奇異にみられる存在だった時期がありました。

 彼らはある意味で、古い社会の枠組みを別の視点で客観的に観ることができたアウトサイダーだったのです。だからこそ、西洋列強の中に優れた技術・文化を見つけた時、躊躇することなく日本全国に導入をしていくことが可能でした。

 先にご紹介した『パラダイムの魔力』では、パラダイムに関する3つの原理を以下のように書いています。

(1)パラダイムはつねに、多くの問題を解決しているときでさえ、解決できない問題を浮き彫りにする。その解決できない問題が引き金になって、新しいパラダイムへの模索が始まる。

(2)パラダイムを変えるのは、ほとんどいつもアウトサイダ―である。アウトサイダーは、現在のパラダイムの機微を理解しておらず、それに投資していないからだ。

(3)パラダイムの開拓者は、十分な根拠なしに、思い切って決断をくだす。パラダイムを変えたいと思うのは、自分の直感を信じているからだ。

 諭吉の「門閥制度は親の仇でござる」という言葉は有名ですが、父である百助が優れた学者でありながら、武士の階級制度のために能力に見合った役職を得ることなく亡くなったことで抱いた感情だとされています。

 既存のパラダイム(社会的な枠組み)の中心で恩恵を享受していると、パラダイムが変化し始めることに強く抵抗する側にまわってしまうことになります。しかし大規模なパラダイムの変化を前に、古い側に固執する者は、パラダイムと一緒に没落して社会的価値を失うことになるのです。

 諭吉や幕末の志士は、新しい技術や文化を積極的に学ぶことで、日本はより大きな飛躍ができると信じました。彼らの新たな学びに対する信念こそが、140年前の日本を革新し、変革期を生きた彼らの生涯を成功で彩ることになったと考えられるのです。