手作業でのデータ入力をデジタル化
ヤクルトがフル活用しイチロー封じ

 いまや試合中のベンチでも、スコアラーの説明を受けながら、データを確認している選手の姿がよく見られるようになった。

 パソコンでデータ処理されたものをプリントアウトしておき、投手が交代すれば、打者はその投手のデータを即座に確認する。ストライクゾーンが9分割され、球が来やすいコースと球種ごとに色分けされている。

 カウントごとに、こういう配球の傾向があるというのもひと目で分かる。スコアラーの手作業も含まれているが、球場に設置された「ホークアイ」や「トラックマン」といった精密な分析機器により、1球ごと、1スイングごと、1プレーごとのパフォーマンスがデータ化されている。その蓄積された膨大なデータも、投手ごと、打者ごとにあっという間に分類される。

 片貝が手掛け始めた頃には、その蓄積と分析はスコアラーの手作業に頼っており、まだまだ時間がかかっていた。これをデジタル化することでデータ集計、整理の時間や労力を激減、これに伴ってよりデータ分析に注力することができるようになる。ただパソコンがまだ一般に普及していなかった1990年代には、そうした発想が球界には皆無ともいえた。

 こうしたデータを収集、解析するシステムを構築し、スコアブックをコンピュータで管理するソフトを開発したのが、1988年創立の「アソボウズ」だった。1995年のヤクルトは、この分析データをフルに活用したのだ。

 オリックスとの日本シリーズを前に、監督の野村克也は「アソボウズ」のデータをもとに天才・イチロー封じの攻略法を考案。これを捕手・古田敦也に徹底させることで、日本一を勝ち取っている。その先進的な取り組みに、星野はすぐ着目した。

星野の命を受け「アソボウズ」とタッグ
片貝はプログラミングができるまでに

 片貝は第2次星野政権で、コーチに就任することが半ば内定していたのだが、その“役職変更”は「突然だったね」と振り返る。

「『スコアメーカー』って(ソフトが)あるから、それを研究してくれんかって言われてね。だから、仙さん(星野仙一のこと)に言われて、アソボウズで作ったんですよ。それが全国にバーッと広がったんですよ」