星野が、2度目の監督復帰を果たした、まさしくその直後のことになる。1995年11月の秋季キャンプは、沖縄・北谷で行われた。そこへ「アソボウズ」のスタッフが訪れ、同13日から1週間にわたり、中日独自のフォーマットを開発することになった。

 片貝は星野の命を受け、球団側の“責任者”となった。アソボウズは、投手のフォームと球種の解析を2画面で行う「スコアメーカー1(Score Maker1)」と、バッターのヒッティングゾーンや、飛球エリアを分析する「スコアメーカー2(Score Maker2)」という解析ソフトを開発していた。

 これまでのデータをこのソフトに入れることで、過去のデータが生きてくる。

 元プロ野球選手にして、現役のスコアラーでもあった片貝だからこそ、その重要性が瞬時に分かったし、その経験を生かした意見もどんどん反映してもらえた。

 片貝は、アソボウズのスタッフを自分の部屋に宿泊させ、機械やデータも持ち込んでもらった上で、1週間、その部屋にこもり切りとなったという。

 この経験を通して、片貝はパソコンに精通することになり、プログラミングまでできるようになった。後に営業部に移った時に、この技術が再び発揮されることになる。

「動作解析」は選手から絶大な信頼
一方、落合監督やコーチ陣は不信感

 アソボウズとのソフト開発に携わった後、落合博満の監督1年目には直々に「スコアラーを頼むね」と落合から頼まれたのだという。

 その“目”は、信頼が厚かったのだ。

 落合政権2年目の2005年からは「動作解析」の専従になる。選手の映像をパソコンに取り込み、調子のいい時のフォームを左画面に、撮った直後のフォームを右画面に表示する。その2画面を比べながら、チェックができる。

「モーションアナライザー」と呼ばれたソフトウェアは、ノートパソコンとビデオカメラがあれば、それこそ遠征先でも自由に活用できる。しかも描写機能を使えば、取り込んだ映像に目印の線なども入れることができる。