簡単に言えば、民主党は政権交代を成し遂げた時点で「その後何を目指す政党なのか」が、とても希薄になっていたのでした。当時は、民主党政権に抱くイメージが、所属する個々の議員たちの間でも、支援する人々の間でも、バラバラだったように思います。

 普天間問題の迷走などによって政権運営に早々に行き詰まった鳩山首相は、翌2010年6月に退陣を表明。後継には菅氏が就任しました。

消費税増税反対勢力と
東日本大震災に挟撃された

 就任直後こそ内閣支持率を大きく上げた菅氏でしたが、菅氏も鳩山氏同様、ある意味自ら墓穴を掘る行動をとってしまいました。就任直後、参院選の公約を発表する記者会見で、消費税について「2010年度中に税率などを含めた改革案をとりまとめたい」と発言。税率について「自民党が提案している10%という数字を一つの参考にしたい」と語ったのです。

 当時の税率は5%。発言は政界に波紋を投げかけました。

 良くも悪くも「消費税」は、非自民勢力にとって極めてセンシティブなテーマでした。発言は小沢一郎氏ら「身内」の党内勢力から大きな批判を受けることになり、党内対立のゴタゴタは、国民の民主党への支持をさらに失わせることにつながりました。

 結果としてこの参院選で民主党は大敗。参院で与野党が逆転する「ねじれ国会」が生じ、菅首相はその後、政権運営に苦慮することになります。

 参院選直後の党代表選で、小沢氏との一騎打ちを制してどうにか首相の座を守った菅氏でしたが、その約半年後の2011年3月11日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が日本を、そして菅政権を襲いました。未曾有の大災害と、世界的に見ても最大級の原発事故への「二正面作戦」を強いられ、菅政権が初動の対応に苦慮するなか、代表選で菅首相に敗れた小沢氏が、野党・自民党と組んで内閣不信任決議案の可決、いわゆる「菅降ろし」を画策しました。

「国難」のさなかに党内政局を見せつけられた国民が、民主党政権に強く失望したのも無理はないことでした。菅首相は震災発生から約半年後の同年9月、首相を辞任しました。