原発なしでも日本経済は
やっていけることを示した

 ただここで、あえて一つ強調しておきたいことがあります。

 菅政権が短命に終わった最大の理由が、民主党の党内対立と、それを制御しきれない政権運営の未熟さにあったことは否定できません。しかし、それに加えて、震災を機に菅首相がとった原発政策が、野党・自民党をはじめ当時の政財界に、大きな脅威を与えたことも間違いなかっただろう、ということです。

 事故を起こした東電の「免責」を許さなかったこと。直接被災していない中部電力浜岡原発を行政指導で全炉停止に導いたこと。原発再稼働に際し、所管官庁の経済産業省を介さない新たな基準(ストレステスト)を導入し、再稼働を難しくしたこと。これらの施策の結果、菅首相が退陣した後の2012年5月、日本は一時的とは言え、国内で1基の原発も稼働していない「原発ゼロ」の状態が実現したのです。

 また、菅政権で法制定のめどをつけた、再生可能エネルギーの「固定価格買取制度」(FIT)は、その後の国内における太陽光発電の比率を、飛躍的に高めました。短命に終わった菅政権ですが、少なくとも「原発政策は大きな転換が可能」ということを、現実味を持って示すことに成功したと言えます。

 原発政策もまた、外交・安保と同様に、自民党が培ってきた古い権力構造と密接な関係を持っていました。「保守2大政党」を求めた勢力にとって、やはり触れてもらいたくない政策の柱であったのでしょう。原発政策に切り込んだ菅首相は、普天間飛行場移設問題に手をつけた鳩山首相と同様に、古い権力構造には邪魔な存在であり、だからこそあれだけ執拗に批判され続けたのだと思います。