一方、非自民の立場から「政権交代可能な政治」を求めてきた勢力から見れば、この言葉はある種の「敗北宣言」なのかもしれません。「もう政権交代は起こらない。我々の戦いは無駄だった。政治改革前の旧態依然とした政治に戻るのだ」と、日本の政治にさじを投げた言葉だと受け止めているとも考えられます。
どちらの考えにくみする気にもなれません。「政権交代可能な政治に疲れた」という安直な嘆きが、そのまま「民主主義に疲れた」にまで行き着くことが、とても恐ろしい。
そんなに簡単に疲れ果ててしまうほど、私たちは民主主義を「使い倒して」きたと言えるのでしょうか。疲れ果てるにはまだ早いのではないでしょうか。
55年体制が生まれてから、まだ70年も経っていません。その間に「万年与党」の自民党が政権から転落したのは、1993年(細川政権)と2009年(鳩山政権)のたった2回だけです。自民党は結局、ごくわずかな期間で政権を奪還しましたし、前者に至っては選挙を行うことすらなく、永田町の政治ゲームで政権を取り戻しました(1994年の村山政権発足)。
たったその程度のことで「政権交代可能な政治」に疲れてもらっては困るのです。
「批判ばかり」と批判する
政権与党・自民党の本当の狙い
政界では今、意図的に「対立軸が明確な2大政党が、選挙で政権を争う政治」の構図を作らせまいとするかのような言説があふれかえっています。
前述した「ネオ55年体制」もその一つかもしれませんが、最もポピュラーなものは「野党は批判ばかり」でしょう。特に2021年衆院選で、立憲民主党が公示前議席を下回った時に各方面から浴びせられた「批判ばかりの野党」という批判は相当なものでした。まさに「立憲には批判ばかり」状態です。
これは誤りです。野党が長い歴史のなかで、議員立法で多くの政策を提案してきたことは、周知の事実です。最近では2022年、旧統一教会の「2世信者」の方々の救済問題について、野党が議員立法で提出した被害者救済法案が岸田政権の背中を押し、成立にこぎつけました。野党の存在がなければ、法律は成立するどころか、政府案が国会に提案されることさえなかったでしょう。