野党の法案が日の目を見ることはごくまれで、実際は与党の手によって多くの法案が国会で審議すらされず、たなざらしにされてきたことも、よく知られているはずです。
にもかかわらず、なぜにここまで「野党は批判ばかり」批判がわき起こるのか。理由は三つあると思います。
第一の理由は、政権与党の自民党が「自分たちが批判や監視をされたくない」がために、批判する勢力の勢いを削ごうとして、世論をそのように誘導したい、ということです。
2012年の政権復帰以降の自民党は、こういう姿勢をむき出しにしていました。日本銀行とか内閣法制局とか、政府(内閣)からの独立性が一定程度担保されている組織を、人事などを通じて自分たちの下部組織であるかのように扱おうとしました。
政府組織とは違いますが、政権監視が本来の目的であるメディアへの介入も図りました。2023年初頭から大きな関心を呼んだ、放送法の「政治的公平」の解釈をめぐる議論で示されたことは、それを端的に表した例だと言えましょう。
つまり、第2次安倍政権以降の歴代自民党政権は、政権の思い通りにならなかったり、牙をむいたりしかねない存在から、その牙を抜いてきたのです。私はこれを、これらの組織から「野党性を失わせる行為」と表現しています。
しかし、国会における野党とは、野党「性」などではなく、名前からして正真正銘の野党です。その存在意義はまさに、政権の監視と批判です。だから、他の組織のように「牙を抜く」のは容易ではありません。野党から野党性を抜いたら、それこそ何ものでもなくなってしまいますからね。
だから彼らは、政権に近い識者や論客を(それこそメディアも)使って、大々的な「批判ばかり=悪」イメージを世論に印象づけ、外野から野党の牙を抜こうとしているのだと思います。
批判を前面に出してはならない
与党に都合のいい「提案型野党」
第二の理由は、野党が「批判ばかりしている」と強調することで「政権担当能力がない」と印象づけたい、ということです。「野党は批判ばかりなので政権を任せられない」という印象を植え付けることで、事実上「政権選択選挙」の意味を失わせ、彼らを「万年野党」の位置に押し込めておこうとしているのです。