米ビッグ3と西欧各社がシュコダを欲しがり、最後は仏ルノーとの一騎打ちになっていた。シュコダを売却するチェコ政府がルノー側を、自主開発の余地を残してくれるVW側を現地労組が推し、後者に決着した。

 99年、ポロ(4代目)とイビサ(2代目)の姉妹車、シュコダ・ファビアが登場した。「大衆車」とはいいながら、途上国では高級車に分類されてしまうゴルフやポロを、VWはもっと安く売る必要があった。

 そのために格安な大衆車ブランドを傘下にそろえ、各社にVWの車体とエンジンを供給し、独自のアレンジを加えさせ、お買い得な「別ブランド」として売らせた。

 セアトは情熱的なスポーツ・テイストを得意とし、欧州各国のツーリングカー選手権の常連となり、シュコダは手堅い(保守的な)デザインながら、グループの最廉価ブランドを受け持った。巨大グループに成長したVWは、トヨタとグローバル首位を争うことになる。

 冷戦終結直後の時期は、VWが日本戦略を拡張した時期でもあった。91年に三河港を日本の上陸拠点として整備した。

 2011年からは、通常は店舗で行われる納車前整備も港内施設で全て終えられるよう機能を拡張した。これにプジョー、ベンツ、クライスラー、ボルボ、フィアット、シトロエンが続く。

 地元自治体の特区指定も手伝い、三河港は93年以降、輸入車台数日本一、輸出台数は名古屋港に次ぐ2位の港である。車雑誌に登場するVW車は、おおむね豊橋ナンバーだ。

大衆車に続き高級スポーツ路線も充実
ブガッティを買収しヴェイロン開発

 VWは志が高く、大衆車のラインアップを充実させて足場を固めた後、高級ブランド、スポーツ・ブランドも充実させた。

 ブガッティといえば、仏アルザス地方に陣取る老舗である。創業1909年、当時のアルザスはドイツ領であり、その後1919年にフランス領となるが、国際関係に翻弄された同社の歩みを象徴している。戦前は国際レースで並み居るドイツ勢に真っ向から対抗した。

 創業者のエットーレ・ブガッティは、戦前は路面電車や競技用の航空機も製作した。しかし第2次大戦の戦火で工場は壊滅し、失意のうちに他界した。