休眠状態だった老舗は、91年に登場したスーパーカー、EB110によって(イタリアの会社として)復活した。
数々のスーパーカーをはじめ、イタリアを走る特急ユーロスターも手掛けたカロッツェリア(自動車製造工房)、ピニンファリーナがデザインを請け負った。わずか100台ほどしか生産されなかったが、最高時速340キロを誇り、車体色は戦前以来の伝統、スカイブルーである。
フランスは戦後、航空機、戦闘機の分野で、アメリカに依存しない独自のポジションを獲得してきた。その一方、自動車、特にスーパーカーに割くリソースが手薄になっていた。しかし冷戦が終結すると、そのような過去のしがらみは消えていった。
そして「偉大なるフランス」的な一国主義も、後景に退いた。ブガッティは98年、独VWの傘下に迎え入れられて独仏連合となり、本拠地をアルザスに戻した。宿敵アウディ(編集部注/1964年にVW傘下入り)との同盟など、戦前には考えられない組み合わせである。
名門ブガッティを迎えたVWは、最高ブランドとして羽ばたかせるため、VW渾身の最高峰W16エンジンをブガッティに供給した。
これにターボを4基備え、最高出力が1000馬力を突破した鬼、ヴェイロンが2005年に登場した。従来のタイヤでは耐えられないため、仏ミシュランが専用の強化タイヤを開発せざるをえなかった。
その甲斐あって、独仏枢軸の賜物であるヴェイロンは、市販車で初めて時速400キロの壁を突破した(普段はタイヤを保護するため、時速300キロで速度リミッターが介入する)。
VWの視線はイタリアへ
ランボルギーニ再生の道
フランスの老舗ブガッティに飽き足りず、イタリアを代表するスーパーカー・ブランド、ランボルギーニを99年に買収した。フィアットと関係が深いフェラーリではなく、財政難にあえぐ孤高の名門に「救いの手」を差し伸べた。
イタリア人は北部の(几帳面な)人間のことを「ドイツ人っぽい」などと軽口を叩くほど、普段はドイツにいいイメージを持っていない。