フォルクスワーゲンが欧州自動車の買収でトヨタと覇権を争うまでに巨大化した狙いPhoto:PIXTA

ビートルやゴルフで日本でも人気が高い「フォルクスワーゲン(VW)」。冷戦の終結以降、欧州各国のブランドメーカーを数多く買収し劇的に事業を拡大させてきた。巨大グループに成長したVWは、トヨタとグローバル首位を争うことになる。躍進の歴史をたどる。※本稿は、鈴木均『自動車の世界史』(中央公論新社)の一部を抜粋・編集したものです。

冷戦末期にVWグループは覚醒
スペインメーカー「セアト」を買収

 長く西ドイツの国民車、ビートルとゴルフを作り続けてきたVWは、冷戦中は中・東欧諸国に少量輸出するだけで、フィアットやルノーのように現地工場を建設するほど積極的ではなかった。

 これが冷戦末期に、大きく積極攻勢に転じるのである。欧州各国のブランドを買収しはじめた。

 VWは手始めに、75年にフランコ将軍の独裁が終わったスペインに目をつけた。セアトは戦後まもない1950年、伊フィアットの支援を得て国有企業として創業した。

 65年に初めてコロンビアへの輸出を実現するが、すでに登場から10年も経っているフィアット600と大きく変わらないセアト600を売ったところで、成果は乏しかった。

 輸出拡大のためには、創業時にフィアットと結んだ「不平等条約」を撤廃に追い込まなければならなかったが、独裁者にも国有企業幹部にも、そのような気概はなかった。

 セアトにとって大きな転機は、86年、スペインのEC加盟である。民主化以降、スペインはEC域内にある自動車の有力生産国から「ダンピング(不当廉売)輸出」を懸念されていた。

 他方、自国メーカーがないEC加盟国の消費者は、スペインの加盟とセアト車の輸入を歓迎した。そんな状況を、VWが黙って見ているわけがなかった。

 ECに加盟した同年、セアトはVWに買収された。そして以降、着々と内外でシェアを拡大した。聞こえはいいが、イタリア支配からドイツ支配に切り替わっただけ、とも言える。

 1993年はECがEUに生まれ変わった年でもあり、欧州全体が節目を迎えた年だった。

 同年、VWポロの車体とエンジンを流用した、セアト・イビサ(2代目)が登場した。そもそも84年に登場した初代イビサがVWとの提携のはじまりだったし、2代目が登場した93年、VWはセアトの株の買収を終え、完全子会社にした。

東側きっての工業国チェコの
名門シュコダ獲得に成功

 VWはセアトを傘下に収め、返す刀でチェコスロバキアが誇る古豪、シュコダを91年に買収した。これを受け、シュコダは民営化された。