先進国からの支援で
肥えていく要人

 国際保健の現場は綺麗ごとだけではない。某要人は、アウトブレイク中にどんどんと腕時計が華美なものになり、移動手段がバイクから中古車に、そしてハイヤーへとグレードアップしていった。

 バイクといえば、復興計画の中で各保健所にバイクを配備した話を少し前に書いたが、あのときに予算として計上されたバイクの見積もり、何度数えてみても保健所の数よりもちょっとだけ多い。邪推で申し訳ないが、どこかの担当者が私用で使う分を入れ込んだのかもしれない。予算案が通ってから実際にバイクが納品されるまで、「まだかまだか」とミーティングのたびにせっつかれた。

 まぁ、僕だって似たようなものだ。ひとに誇れるようなことだけをしていたわけではない。現地のコミュニティに取り入るために意識して気を張って陽気で気前のいいキャラクターを演じていたけれど、心の中では悪態をついていたこともしょっちゅうだった。

 対策活動の一環としてデータを眺めていると、研究者としては解析したくてうずうずしてくる。でも、アウトブレイクのデータはいま被害を受けているこの国のひとたちのものだ。僕はあくまでウイルス感染症やデータの活用に少し詳しい支援者としてこの国にきたのであって、研究をしにきたのではない。

 そんな自覚はあったのだけれど、対策活動の隙間時間を見つけては、少しずつデータを解析して論文の原稿を執筆していた。この悲惨なアウトブレイクは、下世話な話だけれど感染症専門家である僕にとってはチャンスでもあった。

 ある日、対策会議のあとで現地組織のとても偉いひとと話す機会がたまたまできたので、「ちょっとデータを解析してみたら、こんな結果が得られたんですよね」とこっそり説明してみた。「素晴らしい、ぜひ論文にして発表しよう」と言ってもらえたので、「実はそのための原稿もすでにあるんです」と書き溜めていたものを送った。