共通ポイント20年戦争Photo:JIJI

日本初の共通ポイントの「生みの親」である笠原和彦は、カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を去り、アパレル大手のワールドへ活躍の場を移していた。だが、笠原にはポイントビジネスにも心残りがあった。そんな時に起きたある事件が笠原の転身を後押しすることになる。長期連載『共通ポイント20年戦争』の#21では、Tポイントの「生みの親」が、“古巣”であるCCCのライバル、楽天に電撃移籍した経緯を明かす。(ダイヤモンド編集部副編集長 名古屋和希)

共通ポイント「生みの親」は楽天顧問に
“古巣”のCCCとの全面対決には躊躇も

 日本初の共通ポイントの「生みの親」である笠原和彦は、2010年にカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)を去り、アパレル大手のワールドで活躍していた。ただ、笠原は楽天(現楽天グループ)顧問の兼業だけは許されていた。楽天のポイントビジネスの可能性を感じていた笠原がワールド社長の寺井秀藏に頼み込んだためだ。

 笠原が感じていた大きな可能性とは、楽天ポイントの共通ポイント化だった。かねてから会長兼社長の三木谷浩史に説いていたが、三木谷が首を縦に振ることはなかった。だが、その三木谷は、2012年6月にCCCとヤフーが共通ポイントを柱とする電撃的な資本業務提携を結ぶと、共通ポイント市場への進攻の意思を固める(本連載#2『楽天ポイント「共通ポイント化」の裏に三木谷氏への“だまし討ち”!?Tポイント敗北を運命付けた11年前の事件』参照)。

 笠原は顧問として、楽天の共通ポイント化を支援することになる。CCCでTポイントを手掛けていたかつての部下の一部が楽天に集結した。楽天側で笠原とのパイプ役となったのが、ポイント事業や楽天ブックスの担当役員だった舟木徹である。三井住友銀行出身の舟木は、1997年にCCCに移り経営企画部門でM&A(企業の合併・買収)などを手掛けた。舟木は06年、旧知の間柄である三木谷が率いる楽天に転じていた。舟木はCCC時代には笠原の部下で、楽天で再びタッグを組むことになる。

 笠原は自らの営業力を生かし、Tポイント時代の加盟店を回り、楽天のポイントの魅力を説いた。13年7月には、住友銀行(現三井住友銀行)出身で楽天副会長だった国重惇史の紹介で、家電量販店大手、ビックカメラ会長の新井隆二にも面談。Tポイントの主要加盟店であるJXホールディングス(現ENEOSホールディングス)とは、秘密保持契約(NDA)を結び交渉を進めた。

 楽天のポイントの最大の魅力が、流通するポイントの量である。当時、楽天では年間800億円分のポイントが流通していた。1ポイント100円で単純計算すると、8兆円もの消費がひもづいていたことになる。

 一方、Tポイントは7兆円近い消費額にひもづいていた。だが、その内訳をみると、提携するヤフーやソフトバンクでのポイント付与が多く、付与率も小さかった。つまり、ポイントの年間流通額は700億円に満たない。加盟店数などで見れば、先発のTポイントが圧倒していたものの、ポイントビジネスにとって力の源泉ともいえるポイントの流通額は楽天のほうが多かったのだ。

 しかも、楽天のポイントはまだネットの世界に閉ざされていた。消費の規模が桁違いに大きいリアルの世界にそのポイントが流れ込めば、もっと巨大な“経済圏”を構築できる可能性があった。

 ただし、笠原は全面的な楽天へのコミットには躊躇(ちゅうちょ)していた。それは“古巣”であるCCCとの全面戦争を意味するからだ。自らが苦労して育て上げたTポイントと戦うことに、少し気が重かったのも確かだ。

 その笠原の背中を押すことになる事件が起きる。