競馬写真はイメージです Photo:PIXTA

家族や友人とともに有名観光地を巡る旅は、それはそれで幸せの形だろう。だが、物足りなさを感じる諸氏も多いのではないか。「ここではないどこかに行きたい」「最果ての地を見たい」……そんな少年の冒険心を満たしてくれる旅のプランを、公営ギャンブルの大ファンである筆者が指南する。※本稿は、藤木TDC『はじめて行く公営ギャンブル――地方競馬、競輪、競艇、オートレース入門』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

この世の果てにいるような感慨
旅打ちとの出会いとその楽しみ方

 旅打ち(主にギャンブルを楽しむことを目的として旅行すること)を意識した最初は95年、岐阜の笠松競馬場を訪れた時だと思います。その時は友人のライターのMくんと二人で行きました。まだライター仕事が潤っていた時代で、旅費もケチらなかった記憶があります。

 早朝に新幹線で名古屋に向かい、そこから名鉄で東笠松駅(2005年で廃止)から降りてすぐの笠松競馬場へたどり着きました。南関東では考えられない、のどかな木曽川の河川敷にぽつんとある老朽化したスタンド、内馬場に残る畑を見て、これが本物の「草競馬」かと感慨にふけったものでした。

 その一方で入場者が少ないので食堂・売店があまり営業していない状況にも驚き、客のいない一軒の食堂で粗末なバラ寿司を食べ、常に客であふれ、行列ができたりもする南関東の競技場の食堂・売店のB級グルメとの差に落胆したりもしました。

 ただ、平日開催でガランとしたスタンドに馬券を握りしめて立っていると、「自分は今、この世の果てにいるのではないか」という、いいしれぬ感慨が湧き上がってくるのです。初めて旅打ちを意識した瞬間でした。

 その感覚にきっと麻薬性があるのだと思います。

 同行のMくんは非常に馬券上手で、JRAの場外馬券発売所でローカル開催のパドック中継を見ただけで勝ち馬を当てる相馬眼のある男だったのですが、彼は7レースあたりで地元のある専門紙の短評欄に「軽視は禁物だ」と書かれた馬が勝っている事実に気づき「残りも勝つんじゃ......」とすべて短評欄「軽視は禁物」の馬から流し、それが見事に的中して旅費以上の払い戻しを得ました。

JRAや南関東の競技では
見られない「特別な力」の作用

 私は彼の発見を信用せず、負けました。その体験をきっかけに、私は地方競馬における、馬柱のデータを読み込んだだけでは分からない、特別な力の作用について考えるようになったのです。

 そのあとMくんとは岩手・奥州市の水沢競馬場の正月競馬にも一緒に行きました。関東ではあまり見られない雪見競馬で、おそろしく寒かったけれど、スタンドには老朽の美ともいえる味があり、雪の残るダートコースを競走馬が走る姿は神秘的でもありました。

 食堂も温かい食べ物が充実していて、名物の赤ん坊の拳ほどある「ジャンボ焼き鳥」もおいしくいただきました。

 投票所の近くに置かれた石油ストーブの最前列には人相の怖い大物らしき初老の男性がお付きの方を従えて陣取りって小声で何かやりとり、場立ちの予想屋はさかんに「今日は〇番の目が強いよ」と出目の予想ばかりしていました。