77歳で関節リウマチを発症
現在は「要介護4」

 2、3カ月通いましたが、処方は同じでした。僕は開き直りました。

 持って生まれたものと言われたことで、僕はそれが自分の個性だと捉えたのです。風邪などの感染症に罹らなければ出る痰も気になるほどの量ではなく、咳は気管上部に上がってきたものを排出させるための作り咳以外ほとんど出ません。

 一生治らないというのに、何十年もサルファ剤を飲み続けたら、その薬害で体が打撃を受けるのではないか。

 そう結論づけて、通院をやめました。体を労りすぎてもダメだな、という思いがあって大学生時代は無茶をしましたよ。まだデカンショの時代でしたから、無茶をしてよく痛飲しました。

 社会人になって職を転々としましたが、保険調査員時代は全国へ出張することが多かったので羽目を外していました。

 29歳のときに何日か腹痛が続いたのに放置し、帰京して痛みに耐えられなくなったので入院した結果は虫垂炎をこじらせての腹膜炎でした。高熱で死線をさまよったと医師は言ったのですが、そんな感覚はありませんでした。

 それより抜糸の糸の残りを腹腔に忘れられて10カ月後に傷口が膿んで別病院で手術を受けましたが、これをどうしてくれるんだという気持ちはありましたね。

 これ以降、半世紀近くは歯科を除いて病院に縁のない生活でした。

 気管支拡張症は個性ですからほったらかしでした。風邪を引くと高熱を出すのですが、市販の漢方薬で数時間で下がり、2、3日して平熱になりました。不思議なことには高熱には平気な体質で、40度弱の熱が出ても仕事はしていました。

 その僕も2017年、77歳で関節リウマチを発症してからは前述の経過をたどり、2019年には車いすユーザーになり、介護サービスを受ける身の上になりました。

 当初、要介護3で始まった介護サービス生活は、現在は、要介護4です。

 介護サービスの種類も増え、内容も濃くなっています。

 もともとが楽観的で、成り行きまかせの性格でしたが、さすがこのときは「思うように仕事ができなくなったなぁ」「徹夜なんかも平気だったのになぁ」「もう、あの頃には帰れないのかぁ」と、ぼやいたことが何度かありました。