江戸のくだけた言葉「ほんに」は
漱石の頃だと“馬鹿丁寧”だった

 試みに『日本語歴史コーパス 江戸時代編Ⅰ洒落本』(*注2)を対象に、江戸時代の「ほんに」の会話文と会話以外の文で用いられる比率を集計したところ、全用例のうち97%が会話文に出現していました。これは類語「まことに」34%、「じつに」50%に比べても非常に高い値で、ほぼ会話文に限定されて用いられていることがわかります。次のように、威勢のいい江戸の勇み肌の男による会話文でも「ほんに」が用いられています。

(1)芝のはてへいつてもナ。ずつと下谷のはてへいつてもホンニおやぶんのめへだけれども。どうらくものといふどうらくものにみそじやアねへが。たゞのひとりもしらねへなアねへ。
[現代語訳:芝の果てへ行っても下谷の果てへ行っても、【ほんに】親分の前だけれど、道楽者という道楽者に、自慢じゃないがたった一人も知らないものはない。]
(『侠者方言』1771年、52-洒落1771_01004 33640 訳は市村、表記は一部変更した。)

「めへ」「じやアねへ」「しらねへ」「なア」などのくだけた表現が用いられている、敬語のないぞんざいな発言です。現代語の「マジで」や「めちゃめちゃ」と同じくらいかどうかはわかりませんが、「まことに」や「じつに」に比べれば、「ほんに」がくだけた話し言葉であることは明らかでしょう。

 ところが、そのくだけた語感がその後ずっと維持されたかというと、どうもそうではなさそうで、1905年発表の夏目漱石『吾輩は猫である』に次のような記述があります。

(2)[「新道の二絃琴の御師匠さん」と「下女」が話している場面]
「えゝ、あの御医者は余程妙で御座いますよ。(…中略…)あんまり苛ひどいぢや御座いませんか。腹が立つたから、それぢや見て戴かなくつてもよう御座います是でも大事の猫なんですつて、三毛を懐へ入れてさつさと帰つて参りました」「ほんにねえ」(…中略…)「ほんにねえ」は到底吾輩のうち抔などで聞かれる言葉ではない。矢張天璋院様の何とかの何とかでなくては使へない、甚だ雅がであると感心した。(…中略…)天璋院様の何とかの何とかの下女だけに馬鹿丁寧な言葉を使う。
(『吾輩は猫である』:伊藤整・荒正人編(1982)『漱石文学全集一』集英社。表記は一部変更した。)

*注2 国立国語研究所(2022)『日本語歴史コーパス』(バージョン2022.3、中納言バージョン2.5.2 https://clrd.ninjal.ac.jp/chj/2022年12月14日確認)